撮影:STUDIO KUMU
中南米音楽ファン必聴の注目作品が登場しました。「はだしのピアニスト」下山静香氏による、アルゼンチンの作曲家による作品を集めた『アルマ・エランテ〜さすらいの魂』です。e-onkyoでは、96KHzと192KHzのPCMおよびFLACフォーマットでPure Sound Dogレーベルから発売です。
文:山崎潤一郎

『アルマ・エランテ ~さすらいの魂~(中南米ピアノ名曲コレクションⅡ)』/下山静香
◆「タンゴ」だけじゃないアルゼンチン音楽の魅力
アルゼンチンの音楽というと、真っ先に連想するのが「タンゴ」でしょう。しかし、欧州からの移民や先住民からなる混血国家であるこの国は、多彩で魅力的な音楽にあふれています。選曲には、「タンゴだけがアルゼンチン音楽ではない」(下山氏)という想いが込められています。中でも、大草原パンパに暮らす民「ガウチョ」の音楽である「フォルクローレ」の佇まいをまとった曲を中心に、他で聴くことができない新鮮さも相まって、心に刻み込まれる作品に仕上がっています。
アルゼンチンのギターを持つガウチョ(Alejandro Witcomb [Public domain], via Wikimedia Commons)
4人のアルゼンチン作曲家の曲が収録されています。アルゼンチン民族主義的音楽を確立した一人フリアン・アギーレ、国際的な名声を得たアルベルト・ヒナステラ、アルゼンチン・ロマン派ともいうべきカルロス・グアスタビーノ、フォルクローレの巨匠アリエル・ラミレスの4人が、およそ100年の間に生み出した、魅力的なピアノ曲の数々です。
また、本アルバムのプロデューサーでもあるギタリストの竹内永和氏の選曲とアレンジによるタンゴの名曲がピアノとギターのデュオで2曲収録されている点も見逃せません。アルバムを通して聴くと、この2曲が句読点の役割を演じており、なだらかな起伏を伴う心地よい聴取体験を提供してくれます。
本作品では、プロデューサーでもあるギタリストの竹内永和氏とタンゴを2曲共演しています。(撮影:本間圭吾)
◆「開いた音のピアノ」と素足で演奏する理由
今回のレコーディングで下山氏は、ピアノの調整において「開いた音」を求めたといいます。「開いた音」とはどのような音なのでしょうか。楽器としてのピアノを知り尽くした下山氏一流の極めて感覚的な表現ですが、誤解を恐れず意訳すると、各弦の実音(下山氏は「地の音」と表現)はもちろん、その音が含むあらゆる倍音が過不足なく周囲の空気を震わせ、そしてピアノから放出される、そんなイメージだと思います。
「ギターの開放弦のようなイメージ」(下山氏)とも付け加えます。たしかにギターの開放弦を爪弾くと、「地の音」に加えその音が内包する倍音が、解き放たれたかのように一気に拡散するイメージがあります。ピアノでラテン系の曲を演奏する場合、このような「開いた音」から拡散する豊かな倍音を、あるときは解き放ち、あるときは抑え込むことで巧みにコントロールしながら演奏家自身の手で音作りをしてこそ、曲本来の魅力を引き出すことができるのでしょう。
「開いた音」のピアノを巧みにコントロールすることでアルゼンチン作曲家のピアノ曲の魅力を十二分に伝えています。(撮影:本間圭吾)
「はだしのピアニスト」としてレコーディングはもとより演奏会本番でも素足でピアノに向き合う下山氏ですが、何か特別な理由でもあるのでしょうか。「心身ともに自由で解き放たれた状態でいたい」(下山氏)というのが解答なのですが、それは次のような理由に依ります。
レコーディングだけでなく演奏会においても素足で臨みます。(撮影:本間圭吾)
ピアニストは、ホールなど毎回異なるピアノに対峙しなければなりません。そのような状況で、最高の演奏を行うには、ピアノの特性や状態を足先を通しカラダ全体で感じながら、ペダルを細かく1音づつ踏んだり、ビブラートをかけたりと、極めて繊細なペダルワークが求められます。「私にとって靴は、それらを阻害する要因であることに気づきました」(下山氏)と素足の理由を話してくれました。
◆ありのままのリアルをキャプチャしたレコーディング
(録音チームによる手記)
レコーディングは、2018年5月初旬、かながわアートホールで行われました。200席の可動式の座席をすべて収納し、ステージ中央の演奏会等での定位置にピアノ(スタインウェイD-274)を設置しています。
2018年5月にかながわアートホールにて収録されました。神奈川フィルハーモニー管弦楽団の本拠地であり、可動式の座席収納時の残響時間は、1.4〜1.5秒。(撮影:筆者)
この録音では、合計6本のマイクを使いました。打弦時のアタック感と音の輪郭を捉えるためにピアノ内部の高音部と低音部にAKG451、MXL2006の2本、ニアフィールドにAKG414を2本、そしてアンビエントのキャプチャ用として、中間距離にNeumann SM69と少し離してSanken CMS-2(それぞれステレオマイク)を立て、8トラックで収録しています。
オンマイク✕2、ニアフィールド✕2、位置を調整した2本のステレオマイクの合計6本のマイクで収録(撮影:筆者)
上記にもあるように、下山静香さんが紡ぎ出す、ときに繊細で、ときにパワフルな音の「ありのままのリアル」をキャプチャするためには、ピアノに近い4本のマイクと2本のアンビエントマイクのコンビネーションが鍵を握ります。
幸いにして我々録音チームは、かながわアートホールでのレコーディング経験が豊富なので、最適なマイク位置は、ほぼ理解しています。あとは、その日の湿度やピアノの状態と対話しながら微調整を行うだけした。
今回の録音は前述の様に「ありのままのリアル」を記録するために「色のつかない音」が必要最低条件です。そこで、オーディオインターフェイスとして、高品位で端正な音質に定評のあるRME Fireface UFX IIを導入しました。
オーディオインターフェイスは、RME Fireface UFX II(下の青いパネル)使用しています。(撮影:本間圭吾)
狙いは的中し、NeumannやSankenのマイクが捉える、ピアニシモが消え入る瞬間の静寂との境目に発生する僅かな空気の震え、圧倒的な圧力で迫りくるフォルテシモの大波、そういったすべての音を一切の色付けなしで吸い取っているのではないかと思わせるUFX IIのキャプチャ能力の高さを実感することができました。
さらに、モニタースピーカーとして今回始めてGENELEC 8010と8020を試しました。モバイルレコーディングを行う機会が多い我々の録音チームですが、使用するスピーカーには悩まされます。コンパクトかつパワフル、そして堅牢さといった条件を揃えた上で、高い解像度を備えたモデルはそう多くはありません。
モニタースピーカーとしてGENELEC 8010と8020を使用しました。このサイズは、モバイルレコーディングに最適。(撮影:本間圭吾)
GENELECのモニターは、全帯域で高い解像度を実現していました。今回のアルバムには、ヒナステラのアルゼンチン舞曲という難曲が収録されています。この曲には、低音部で展開される高速なパッセージがあります。低域が弱い小型モニターでどこまで忠実にこの演奏を再現できるのか、興味がありました。濁りを感じないタイトでクリアな音は、これまでにない体験で、十分満足できるものでした。
■録音環境
・マイク
Neumann SM69、Sanken CMS-2、AKG414、AKG451、MXL2006
・オーディオインターフェイス
RME Fireface UFX II
・モニタースピーカー
GENELEC 8010、8020
・パソコンとDAW
MacBook Pro(Retina, 15inch)
Pro Tools 2018