遠藤賢司『東京ワッショイ』
四人囃子、山内テツらが参加。パンクからテクノまでのエッセンスを凝縮した文字どおりの傑作
1980年代中ごろのある年、僕は“自称イラストレーター(現実的にはフリーター)”と称して、中途半端な日常を生きていました。
フリーのイラストレーターとして仕事をいただくようになり、そのうち波に乗ってきたような気がして、「ひょっとして俺、いい感じなんじゃね?」と勘違いしたような時期もあったのです。
ところが結果的には挫折して描けなくなり、悶々としながらレンタル・レコード店などでバイトしながら過ごしていたわけです。レンタル・レコード店時代のことは、スタイル・カウンシル『カフェ・ブリュ』 のところにも書いたことがありましたね。
漫画家の江口寿氏先生と知り合ったのは、その数年前のこと。江口先生といえば、中学生時代から憧れていた漫画家です。まさか知り合いになれるとは思っていなかったので、非常に舞い上がった記憶があります。
残念ながらイラストは認めていただけませんでしたが、仲よくはなって、以来、週に何度かは吉祥寺の仕事場まで遊びに行くようになっていたのでした。
だからあのころは、自室にいるときには「描けない、描けない」とひとり悶々と苦悩していて、レンタル・レコード店では仲間と語り合い、夜にはしばしば江口先生と飲み歩いているような感じでした。
なーんて書くと、いかにも楽そうに思われるかもしれません。しかし、仮に僕という人間を10とすると、上記の“「描けない……描けない……」とひとりで苦悩”が8で、残りの2が江口先生および仲間たちとの交流という感じだったので、精神的にはなかなかのどん底状態にありました。
とりあえず毎日を過ごしてはいるけれど、先になにがあるのか、そもそも先があるのかさえわからないような状態だったからです。
「一緒にバンドやらない?」
江口先生から誘われたのは、そんな矢先のことでした。伝説的フォーク・シンガーの遠藤賢司さん(以下:エンケンさん)と意気投合し、彼のライヴに対バンとして出られることになったというのです。だからメンバーとして一緒にどうかという、非常にありがたいお誘い。
かくして僕は、ヴォーカル担当の江口先生を中心とする即席バンドのメンバーになったのでした。ちなみに他のメンバーは、先生のアシスタント、知り合いの漫画家、編集者などなど。肩書きがあるようでない僕だけが変な立ち位置におり、なんとも微妙な気分でした。
週に何度か集まってスタジオに入り、ただダラダラと過ごしているうちに終了し、その後は飲み会に突入。来たるべきライヴに向けた江口寿史バンドの練習は、そんな感じで進められていきました。早い話が、ほとんど練習になっていなかったわけです。
ちなみにバンドでの僕は、「リズム・マシンを操作する人」でした。最初はギターだったのですが、ギタリストが3人だか4人になってしまったため、「じゃあ、印南くんはリズム・マシンの係ね」ということになってしまったのです。
ただし操作とはいっても、実際にはオン/オフのボタンを押すだけです。そのためステージ上では、必要以上に難しそうな表情をして、使いもしないツマミやスイッチを操作するようなふりをしていました。
そのライヴが開催されたのは吉祥寺の、いまはもうない「のろ」というライヴハウスでした。我々以外にも対バンがいたのですが、それは俳優の佐野史郎さん率いる「タイムスリップ」というバンドでした。
佐野さんがドラマでマザコンの「冬彦さん」役を演じ、大ブレイクするよりも前の話です。
会場は満員でした。なにしろ、カリスマ的に支持されていた江口先生がステージに立つのです。だから期待感で店内は満たされ、なんのトラブルもなく江口寿史バンドの演奏が終わりました。
最初にインストゥルメンタル・ナンバーを1曲やって、そののち江口先生が登場して2曲歌うだけ。つまりは計3曲(実質2曲)だったので、トラブルなんか起こりようもなかったのですが。
そして、その後はエンケンさんの登場。この時点で、場の熱気が一気に上昇したのがわかりました。ギターをかき鳴らしながら歌うエンケンさんのスタイルは「パンク・フォーク」と呼ぶにふさわしく、ステージの端で聴いているだけでグッときました。
なにせ30年以上前のことですから、曲順などは覚えていません。ただ、有名な「カレーライス」などに感動して緩んでいた涙腺が一気に崩壊し、涙が止まらなくなったのは「不滅の男」のときでした。傑作と名高い1979年作『東京ワッショイ』から誕生した代表曲のひとつ。
「いままで何度 倒れただろうか でも俺はこうして立ち上がる」
「そう 俺は本当に馬鹿野郎だ だから わかるかい 天才なんだ」
挫折したイラストレーターとして、「チャンスを使い果たしてしまったんじゃないか」「もう希望はないんじゃないか」などと毎日ウジウジ考えていた身に、「俺は天才なんだ」という歌詞は鋭く突き刺さりました。
いうまでもありません。当時の僕には、そんな大それたことを口にする勇気などなかったからです。だから、手が届きそうな場所で顔をしかめ、熱く歌い上げているエンケンさんから、ものすごく大切なことを教えられた気がしたのです。
エンケンさんに名作は少なくありませんが、なかでも『東京ワッショイ』は頭ひとつ抜け出ているように思います。翌年の『宇宙防衛軍』と同様に、伝説のバンド、四人囃子が参加している傑作。
タイトル曲にみなぎるパンク魂、テクノ感が気持ちよすぎる「哀愁の東京タワー」、デビュー・シングル「ほんとだよ」のセルフ・カヴァーなどなど、ジャンルの枠を突き抜けた収録曲はどれも秀逸。
考えてみれば来年は発売40周年(ちなみにデビュー50周年)なのですが、いま聴いてもまったく違和感がありません。
それどころか、閉塞感の漂う現代だからこそ、エンケンさんにしか表現できない“直球感”が余計に響くのです。
たしか、それから電話で話したことが一度だけあったような気がします。でもそれ以降、お会いすることはありませんでした。何度か電話はかけたのですが、いつも留守番電話から猫の真似をしたエンケンさんの声が聞こえてくるだけで。
だから昨年の秋に訃報を目にし、小さく後悔したのでした。「小さく」というのは、一度しかお会いしていないのだから、「大きく」などという資格はないという意味です。しかし、いずれにしても「もっとしつこく電話して、なんとかまたお会いしていればよかったなぁ」という気持ちを拭えなかったのです。
◆今週の「ハイレゾで聴く名盤」」

『東京ワッショイ』
遠藤賢司

『宇宙防衛軍』
/ 遠藤賢司
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印南敦史 プロフィール
印南敦史(いんなみ・あつし)
東京出身。作家、書評家、音楽評論家。各種メディアに、月間50本以上の書評を執筆。新刊は、『人と会っても疲れない コミュ障のための聴き方・話し方』(日本実業出版社)。他にもベストセラー『遅読家のための読書術――情報洪水でも疲れない「フロー・リーディング」の習慣』(ダイヤモンド社)をはじめ著書多数。音楽評論家としては、ヒップホップなどのブラック・ミュージックからクラシックまでを幅広くフォローする異色の存在。
ブログ「印南敦史の、おもに立ち食いそば」