【10/19更新】 印南敦史の名盤はハイレゾで聴く

2018/10/19
ひょんなことからハイレゾの虜になってしまった、素直さに欠けたおじさんの奮闘記。毎回歴史的な名盤を取り上げ、それをハイレゾで聴きなおすという実験型連載。
月間50本以上の書評を執筆する書評家であり、ベストセラー『遅読家のための読書術――情報洪水でも疲れない「フロー・リーディング」の習慣』の作家としても知られ、更にヒップホップなどのブラック・ミュージックからクラシックまでを幅広くフォローする異色の音楽評論家としての顔を持つ印南敦史による連載「印南敦史の名盤はハイレゾで聴く」。
井上陽水『陽水ライヴ もどり道』
思春期の甘酸っぱい思い出をさらに際立たせてくれるのは、立体感のあるハイレゾ・サウンド


井上陽水さん(お会いしたこともなく、そんな僕にとっての彼は長らく「陽水」だったので、以下は「陽水」と省略)を知ったのは、小学5年生のとき。早熟な友だちから、ファースト・アルバム『断絶』を強制的に聴かされたことがきっかけでした。そう、ジェフ・ベックを教えてくれたあの男です。

実際のところ陽水の深い歌詞は、小学生には理解しづらいものだったかもしれません。けれど自分なりに解釈しようとしたし、その結果として感動もし、なによりその透き通った歌声に魅了されてしまったのでした。

だからいつしかレコードが欲しくなって、その年の秋ごろにその夢を実現させました。

僕の地元の荻窪には、かつて「新星堂本店」という大きなレコード店がありました。当時の僕にとっては、欲しいレコードの“現物”を見ることのできる重要なスポット。売り出し中の新人歌手が、よくプロモーションに来ていました。

そういえば、山口百恵にサインしてもらったこともあったっけ。残念ながら陽水は来てくれませんでしたが、いうまでもなくレコードはそこで買いました。

選んだのは、『陽水ライヴ もどり道』。その年の春に新宿・厚生年金会館で開催された公演を収録したライヴ・アルバムです。

陽水はそれ以前に、先ほど触れた『断絶』、そしてセカンドの『陽水II センチメンタル』をリリースしていました。どちらも評価が高かったので、いまから思えば、初めて買うべき作品はそのどちらかだったのかもしれません。

しかし『陽水ライヴ もどり道』は、発売されたばかりの最新作だったのです。おそらくそんな理由から、これを買うことに決めたのだと思います。

そして結果的に、このアルバムは僕にとって欠かせないものとなったのでした。

「陽水? これ、いいアルバムよ」

レジに持って行ったら、顔見知りの女性店員が声をかけてくれたことをはっきりと覚えています。

(そうか、いいアルバムなのか!)

なけなしの小遣いをはたいて購入を決意した小学生にとって、それは心強い言葉でした。だからレコードを受け取ると、期待に胸を膨らませながら家に帰りました。

うちには、プラスチックでできた安っぽいレコードプレーヤーしかありませんでした。かろうじてスピーカーは2つついていたのですが、単に2つついていただけで、「ステレオ」ではなかったという悲しさ。

だから音は薄っぺらく、スピーカーから聞こえてきた陽水の声は、まるで一斗缶のなかで歌っているような感じでした。

早い話が、「いい音」とはほど遠いものだったわけです。しかし、それでも陽水がすぐ近くにいるような気持ちになり、何度も何度も聴いたのでした。

少し前、陽水の全作品がハイレゾ化されましたね。しかも、世界的エンジニアとして有名なテッド・ジェンセン氏によるリマスター音源です。いつものようにアクセスしたe-onkyoトップ・ページの「New Release」欄に、見慣れたアルバム・ジャケットがズラリと並んでいるのを見たときには、思わず「おおッ」と声を上げてしまいました。

特に初期のアルバム、すなわち『断絶』『陽水II センチメンタル』『陽水ライヴ もどり道』『氷の世界』『二色の独楽』、そして中期の『招待状のないショー』については思い入れが強いので、長く離れていた旧友と再会したかのような気持ちになれたのです。

そして当然のことながら、なによりも先にまず『陽水ライヴ もどり道』をダウンロードしました。あのころ最悪の音質でしか聴けなかったこのアルバムを、ぜひともハイレゾで聴きなおしてみたかったからです。

オープニング「夏まつり」のイントロが出てきた時点で、小学生時代のいろいろな情景が蘇ってきました。しかも拍手の音にすら、あのころ聴いたペラペラの音とはくらべものにならないほど立体感があります。

アコースティック・セットで構成された前半は、「紙飛行機」「あかずの踏切り」などがそうであるように、ハイレゾで聴くとギターの音色がとてもいい。ボディの鳴りがしっかりと伝わってくる感じです。

「人生が二度あれば」ではギターのチューニングが微妙にズレているような気がしなくもないのですが、そんなところもなぜか許せてしまえます。

「感謝知らずの女」以降は、前半とは打って変わり、迫力に満ちたバンド構成。「東へ西へ」の躍動感、「傘がない」のやるせなさなど、表情豊かなサウンドを楽しむことができます。

ちなみに、他のアルバムでは聴けない楽曲が収録されているのも、このライヴ・アルバムの魅力です。「傘がない」のあとで登場する「星(終わりのテーマ)」がそれ。シンプルな短い曲ですが、会場全体をほどよくクール・ダウンさせてくれるような印象があります。

また、会場との一体感に満ちたラスト・ナンバーであり、陽水の代表曲でもあるヒット・シングル「夢の中へ」、そしてそのB面に収録されていた「いつの間にか少女は」も、オリジナル・アルバムには収録されていない曲。そうしたレア楽曲も、本作の魅力のひとつなのです。

なんだか聴いていると、1973年の自分にまつわる記憶までもが鮮明に浮かび上がってきます。

レコードプレーヤーが置いてあった部屋の窓から見えた、夕日の赤さまで思い出すのはなぜなんだろう。


◆今週の「ハイレゾで聴く名盤」


『陽水ライヴ・もどり道[Remastered 2018]』
井上陽水






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印南敦史 プロフィール

印南敦史(いんなみ・あつし)
東京出身。作家、書評家、音楽評論家。各種メディアに、月間50本以上の書評を執筆。新刊は、『人と会っても疲れない コミュ障のための聴き方・話し方』(日本実業出版社)。他にもベストセラー『遅読家のための読書術――情報洪水でも疲れない「フロー・リーディング」の習慣』(ダイヤモンド社)をはじめ著書多数。音楽評論家としては、ヒップホップなどのブラック・ミュージックからクラシックまでを幅広くフォローする異色の存在。

ブログ「印南敦史の、おもに立ち食いそば」

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