アーティスト自身による手記 ~ 私が純正律に惹かれた理由 ~純正律により構築された澄んで透明な三和音がいかに美しく心洗われるのか、深遠で神秘なる音世界をこのアルバムで堪能して欲しい ほとんどの人にとってはそれほど感心を示さないことかも知れませんが、ドレミファソラシドのピッチの合わせ方、いわゆる「音律」にはいくつもの種類があり、紆余曲折の歴史を経て、現在の平均律にたどり付いています。
平均律の代表的な楽器は鍵盤楽器と、フレットが打ち込まれているギターそれにエレキベースです。実はそれ以外の楽器は押さえる指の位置や息の吹き方、唇の加減で音程は微妙に変化させることができます。もちろん人間が歌う時の声もそうです。
そして音程をコントロールさせることができると、単純明快なハーモニーを奏でようとした時には、音律は平均律ではなく、純正律と呼ばれるものに近くなるのです。
クラシックの世界では管楽器や、弦楽器が倍音に基づいた純正の響きを出せますが、鍵盤楽器やギターは平均律の響きしか出せません。つまり世の中は平均律と純正律が混在したまま20世紀までを終えたのです。平均律は何も妥協の産物というわけでもなく、平均律にしたからこそ、テンションコードが次々に考案され、ジャズやボサノバのような音楽が生まれたと言えます。
20世紀終盤、ポピュラー音楽制作は一大産業となり、良い音楽を作ることよりも、いかに音源の販売利益を増やすかを競うようになります。そのために人件費やスタジオ代のかさむ生録音はほとんど行われなくなり、ほとんどがシンセサイザーやサンプラーを使ったものとなりました。その結果、純正のハーモニーは失われ、つねに微妙に狂いのあるハーモニーだけが終始鳴っているわけです。
一方、私は常日頃からギターの調弦には悩みを抱えていました。よく使う和音で純正の響きを追ってしまいがちのため、別のキーの曲を弾くとハーモニーの狂いに驚くことがあります。
【演奏者自身の制作による純正律と平均律の違いに関する動画】
そしてこれは私事ですが、2015年の12月に突発性難聴という難病を経験しました。この病気はある時突然右側の耳がほぼ聞こえなくなるのです。48時間以内に治療を行わないと、回復する見込みはかなり少なくなってしまい、1週間も放置してしまうと、まず聴力は戻らないと言われています。
私は、発病後、約36時間後に点滴治療を受けたので、聞こえなくなった右耳の聴力は生活に支障の無い程度まで戻りました。しかし、この治療の副作用なのか、難聴にならなかった左耳側から、ほぼ毎日「耳鳴り」が聞こえるようになったのです。
耳鳴りは強い日もあれば、ほとんど感じない日もあり、体調で違うのか、気圧は関係無いのかなど、かなり悩みました。そしてある周波数の音はひどく反響してうるさく聞こえるという症状も残りました。そのため、昔よりもさらにピッチの狂った音を敏感に感じ取ることができるようになりました。それが私を音律の研究に走らせ、いかに澄んだギターのハーモニーを奏でられるか、純正律の響きでギターソロを実現できないかという命題に向かわせることになったのです。
それは、デジタルテクノロジーを使うことで可能となりました。DAW(Digital Audio Workstation)で音符を打ち込み、長3度は約14セント低くなるようにピッチベンド情報を入力し、短3度は約15セント高くなるようにピッチベンド情報を入力すれば、純正の響きは作ることができるのです。
ここにお送りするのは、そのような非常に緻密な音作りで構築した、仮想空間で奏でられる純正律ギターの演奏です。澄んで透明な三和音がいかに美しく心洗われるのか。その深遠で神秘なる音世界を堪能してください。
私は決して生ギターによる実演奏を否定しようとしているのではありません。事実、私はごく稀にコンサートでギターを弾いていますし、動画サイトには実演奏を録音した動画を多数アップロード公開しています。多少ピッチが狂ってしまっても、それはオーケストラのチューニングと同じで、ずれたりハモったりと楽しい世界です。ただ、今までに出来なかった響きを作り出してみたいと思いました。
それからもうひとつ。純正律というと、どうしても音楽療法と結びつけたい方が多いようですが、私の経験においては、そのような根拠は発見できませんでした。いくら純正律の響きを聴いても耳鳴りが消えることはないのです。でも澄んだハーモニーに体を横たえる心地よさだけは実感できています。純正律が気になる方、是非、このアルバムに収録している16曲で体感してください。
【演奏者プロフィール】
秋山公良
1961年、東京生まれ。
幼少の頃からピアノのレッスンを受け、16歳からギターに転向する。楽譜制作とDTMに興味を持ち、Macintoshを購入。その後、テクニカルライターとしても活動を始め、多数のMacintosh入門書を執筆する。また、楽譜ソフトを駆使し、クラシックギターのアレンジ譜も販売している。
2006年5月にCD「オペラ座の怪人」でデビーして以来、iTunes Storeにて「組曲 展覧会の絵 -山下和仁編-」「超絶技巧ギター ACCOUSTC Rock」「大聖堂~秋山公良クラシックギター名曲集」など多くのアルバムをリリース。
著書に「よくわかる作曲の教科書」「よくわかる音楽理論の教科書」「よくわかるアレンジの教科書」(いずれもヤマハミュージックメディア)の教科書シリーズがあり、他にも近年ギター教則本として「コード進行&バッキングのレシピ」(エレキギター編、アコースティックギター編)を執筆。
2015年に突発性難聴を経験してからは音律に興味を持ち、Youtubeにアップロードした「純正律と平均律の違いを体感しよう!」は20万回以上の再生回数に到る。現在は、尚美学園大学の非常勤講師も務めている。