◯アルバムについて
木幡 一誠(ライナーノーツより)
日本を代表する名匠2人の共演によるシューマン。1つ1つの音符が持つ意味を掘り下げ、そして慈しんできた年輪の重みと、洞察性に富む眼差しがそのまま楽音として放たれていくがごとき堤剛のチェロと、それを懇切丁寧に受け止める合奏が繰り広げる世界は、月並みな形容を拒む含蓄の深さをたたえる。ソリストとオーケストラが交わす室内楽的な対話と、そこに備わる感興の高さは、たとえば第2楽章にたちこめる濃密な空気感ひとつとっても傾聴に値しよう。
そこにカップリングされたチャイコフスキーの「第3」は、小林研一郎にとって十八番のレパートリーだ。この作曲家が憧れた西欧的なエレガンスと、それでもなお作品の底流をなすロシアの香りが一体化を遂げながら、ハートフルな歌い口と肉体感も豊かなリズムと共に耳へ飛び込む。なぜか演奏の機会に恵まれないシンフォニーの真価を堂々と世に問う。それもまた円熟境の芸術家にのみ許された境地に他ならない。
ロベルト・シューマン(1810-1856)
チェロ協奏曲 イ短調 作品129
Ⅰ. 速すぎず/Ⅱ. ゆっくりと/Ⅲ. 非常に生き生きと
1850年9月、シューマンはそれまで居を構えていたドレスデンを離れ、デュッセルドルフの音楽監督に就任した。新天地で委ねられたオーケストラの演奏会で披露するべくチェロ協奏曲に着手した彼は、10月10日からわずか2週間で書き上げてしまう。スコアも11月1日に完成を見たが、シューマンは独奏パートに関して演奏家からの助言も求め、翌年の秋以降にはフランクフルト在住のチェリスト、ロベルト・エミール・ボックミュールと16通にも及ぶ書簡でやりとりを交わした。しかしそこで寄せられた助言は、後の出版譜からも確認できるとおり(音楽的に安易な方向性に傾いた提案にシューマンも難色を示したのだろう)、ほとんど作品に反映されることなく、ボックミュールを独奏者に招く予定だった初演の機会も頓挫したままに終わる。初版譜はシューマンが精神を病んで入院した後の1854年8月に刊行され、公開の場での初演がオルデンブルクで行なわれたのは、作曲者が没後の1860年4月23日のことだった(ルートヴィヒ・エーベルトを独奏者として、同大公国の宮廷楽団が演奏)。
シューマンはこの作品を当初、“管弦楽を伴うチェロのためのコンチェルトシュトゥック”と呼んでいたが、3つの楽章が切れ目なく連続し、その全体を1つのモチーフが有機的に統合していく構成は、従来の協奏曲の枠組に彼独自の形式原理をあてはめたものといってよい。緻密な動機的展開に基づく楽句によって独奏パートと管弦楽が交わす対話から立ち上る幻想味や詩的想念は、ロマン派時代のコンチェルトでも特筆すべき高みに達している。
第1楽章の冒頭で管楽器が吹き鳴らす3つの和音からなる楽句が、全曲の核をなすモチーフ。楽章主部はソナタ形式をとり、その和音楽句から派生したメランコリックな第1主題と、低音域から翼を広げていくような音形に始まる、快活さと叙情味を兼ね備えた第2主題によって進む。第2主題がイ長調で再現された後のコーダに配されているのが、上記の和音楽句に基づく推移句だ。へ長調に転じた第2楽章では内省味をたたえた歌が連なり、重音奏法も多用される独奏パートと管弦楽のおりなす綾が美しい。やがて第1楽章の第1主題が回帰を果たすと、音楽は次第に熱気を帯びながら第3楽章へ流れ込む。和音楽句から導かれたリズミカルな主要主題と、第2楽章と関連を持つ副主題によるソナタ形式の楽章には、先行楽章の様々な動機素材も走馬灯さながらに姿を現す。レチタティーヴォ風のカデンツァから精神的高揚を遂げてコーダへ至る過程も耳に鮮やかな印象を残さずにはおかない。
ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー(1840-1893)
交響 第3番 ニ長調 作品29
Ⅰ. 序奏とアレグロ~モデラート・アッサイ、テンポ・ディ・マルチャ・フュネーブル-アレグロ・ブリランテ /Ⅱ. アラ・テデスカ~アレグロ・モデラート・エ・セプリーチェ/Ⅲ. アンダンテ~アンダンテ・エレジアーコ/Ⅳ. スケルツォ~アレグロ・ヴィーヴォ/Ⅴ. フィナーレ~アレグロ・コン・フォーコ(テンポ・ディ・ポラッカ)-プレスト
チャイコフスキーが交響曲第3番に取り組んだのは1875年の夏のことだが、それは彼の創作活動でも特に筆力が充実していた時期の最中にあたっている。同じ年の2月にはピアノ協奏曲第1番が完成に至っており、この交響曲のオーケストレーションを終えてほどなく着手し、翌年の4月に書き上げたのがバレエ「白鳥の湖」だった。
モスクワ音楽院での教え子にあたる年少の友人、ウラディーミル・シロフスキーがウクライナのウーソヴォに構える邸宅で過ごしていた1875年6月17日から7月2日(日付は新暦)にかけて作曲の筆が進められ、オーケストレーションの終了は8月13日。作品はシロフスキーへ献呈されている(後の1878年に完成を見た歌劇「エフゲニー・オネーギン」の台本をチャイコフスキーと共同で作成したコンスタンチン・シロフスキーは彼の兄にあたる人物)。初演は1875年11月19日に、ニコライ・ルビンシテインの指揮によってモスクワで行なわれた。
2つの舞曲楽章を含むシンメトリカルな5楽章形式をとり、先行する交響曲第1番と第2番で顕著に認められた“ロシア五人組”の影響からの脱却を志向する筆使いも認められるなど、これは当時のチャイコフスキーにとってなかなかの意欲作にもあたる。規模の大きい第1楽章には後の“三大バレエ”に通じる劇的なイメージの喚起力も備わり、全編を通じて、彼が得意とした舞踏音楽の語彙をシンフォニックな世界観に融合させたがごとき趣すら漂う。なお、よく用いられる「ポーランド」という副題は終楽章が“ポロネーズ風”と銘打たれていることに由来し、作曲家自身が付したものではない。
第1楽章には“葬送行進曲のテンポで”と指示されたニ短調の序奏部が置かれており、それが徐々にテンポを上げながら流れ込む主部は、快活にして祝典的なムードも備わる第1主題と、オーボエが導入する民謡調の第2主題によるソナタ形式。第2楽章は“ドイツ風に”というタイトルを抱き、主部はひなびたレントラー調のテーマに、チャイコフスキーお得意のワルツが挟まれていく。トリオでは三連符のモチーフがひとしきり舞い、やがてそこに重なり合うようにして主部が回帰を果たす。第3楽章はフルートの低音域を生かした序奏主題、ファゴットやホルンのモノローグに始まる第1主題、弦楽器を主体とする第2主題に基づく要素を交替させながら進んでいき、感情的な瑞々しさをたたえたクライマックスを演出。第4楽章の主部は弦楽器と管楽器がめまぐるしく音階走句で応答を重ね(後半ではトロンボーンのソロが活躍)、トリオでは1872年に書かれた「ピョートル大帝生誕200年記念カンタータ」から前奏曲の素材が転用されている。第5楽章は精気みなぎるリズムにのって進むロンド。2つの対比的なエピソードを挿んだ後には主要主題によるフーガも配され、最後はプレストのコーダが壮麗に作品をしめくくる。
アーティスト・プロフィール
堤 剛 -- チェロ
名実ともに日本を代表するチェリスト。齋藤秀雄に師事した後、1961年アメリカ・インディアナ大学に留学、ヤーノシュ・シュタルケルに師事。1963年ミュンヘン国際コンクール第2位、カザルス国際コンクール第1位入賞。現在に至るまで、日本、北米、ヨーロッパ各地、オーストラリア、中南米など世界各地で定期的に招かれている。2009年秋の紫綬褒章を受章。2013年、文化功労者に選出。
数多くのCDをリリースしており、2010年には演奏活動60周年記念盤「アンコール」、2016年には満を持しての「ドヴォルザーク:チェロ協奏曲」(ともにマイスター・ミュージック)がリリースされ、絶賛を浴びている。
2001年より霧島国際音楽祭音楽監督。1988年より2006年までインディアナ大学の教授を務め、2004年より2013年まで桐朋学園大学学長を務めた。07年9月、サントリーホール館長に就任。日本芸術院会員。
小林 研一郎 -- 指揮
東京藝術大学作曲科および指揮科卒業。第1回ブダペスト国際指揮者コンクール第1位、特別賞受賞。ハンガリー国立交響楽団音楽総監督、日本フィル音楽監督、アーネム・フィル常任指揮者をはじめ、国内外のオーケストラのポジションなどを歴任。ハンガリー政府よりリスト記念勲章、ハンガリー文化勲章、星付中十字勲章、2010年にはハンガリー文化大使の称号が授与されている。2011年文化庁長官表彰を受ける。2013年秋の叙勲で旭日中綬章が授与された。
現在、日本フィル桂冠名誉指揮者、ハンガリー国立フィルおよび名古屋フィルの桂冠指揮者、読売日響の特別客演指揮者、九州交響楽団の名誉客演指揮者、東京文化会館音楽監督、東京藝術大学、東京音楽大学およびリスト音楽院名誉教授などを務める。
レコーディング・データ
【指向性】単一指向、無指向、双指向
【最大周波数帯域】200KHz -3dB
【出力インピーダンス】67Ω
マイク・アンプ
【最大周波数帯域】500KHz
レコーディングから配信データまで一貫してDXD384KHz。
【シューマン:チェロ協奏曲 チャイコフスキー:交響曲 第3番/堤剛, 小林研一郎, 日本フィルハーモニー交響楽団/ハイレゾ】
1 堤剛[チェロ], 小林研一郎[指揮], 日本フィルハーモニー交響楽団[演奏], シューマン R.[作曲]
2 堤剛[チェロ], 小林研一郎[指揮], 日本フィルハーモニー交響楽団[演奏], シューマン R.[作曲]
3 堤剛[チェロ], 小林研一郎[指揮], 日本フィルハーモニー交響楽団[演奏], シューマン R.[作曲]
4 小林研一郎[指揮], 日本フィルハーモニー交響楽団[演奏], チャイコフスキー P.I.[作曲]
5 小林研一郎[指揮], 日本フィルハーモニー交響楽団[演奏], チャイコフスキー P.I.[作曲]
6 小林研一郎[指揮], 日本フィルハーモニー交響楽団[演奏], チャイコフスキー P.I.[作曲]
7 小林研一郎[指揮], 日本フィルハーモニー交響楽団[演奏], チャイコフスキー P.I.[作曲]
8 小林研一郎[指揮], 日本フィルハーモニー交響楽団[演奏], チャイコフスキー P.I.[作曲]