セレクターズ・チョイス--クラシック9月新譜 by 原典子


原典子(はら のりこ)

音楽に関する雑誌や本の編集者・ライター。鎌倉出身。上智大学文学部新聞学科卒業。音楽之友社『レコード芸術』編集部、音楽出版社『CDジャーナル』副編集長を経て、現在は子育てをしながらフリーランス。『intoxicate』『CDジャーナル』『Web音遊人』などの音楽雑誌・Webサイトへの執筆のほか、CDライナーノートの執筆や翻訳、演奏会プログラムやチラシの編集、プレイリスト制作、コンサートの企画運営などを行う。坂本龍一監修の音楽全集『commmons: schola』の編集を2018年まで担当。脱ジャンル型雑食性リスナー。あっちとこっちをつなげる仕事が好きです。

 



短い夏が終わり、急に秋めいてきたと思ったら、冷たい風が吹き抜ける。そんな季節に心に響いたのが、サビーヌ・ドゥヴィエルとアレクサンドル・タローによる『シャンソン・ダムール』。フォーレ、プーランク、ラヴェル、ドビュッシーが書いたフランス歌曲の中から「愛」「戦い」「死」にまつわる曲を選んだコンセプト・アルバムである。ドゥヴィエルはバロック、ベル・カント、現代音楽まで幅広いレパートリーを誇るソプラノで、まっすぐ伸びてゆく清澄な高音が美しい。とくにこのアルバムでは、華やかに歌い上げる曲よりも、翳りのある内省的な曲にぐっと引き込まれる。きっとそこが、ドゥヴィエルとタローの感性が共鳴するポイントなのだろう。

秋といえば実りの季節。音楽界ではコロナ禍によって多くの公演が中止され、晴れやかな秋のコンサート・シーズン開幕とはいかなかったが、録音では半年以上にわたるロックダウンの間に音楽家たちが実らせた果実が、アルバムという形となって私たちの元へ届けられた。自宅から50日以上にわたってライヴ・ストリーミングを行なったイゴール・レヴィットは、5月末にベルリンのイエス・キリスト教会で『エンカウンター』と題されたCD2枚組にもなるアルバムを録音。ステージで演奏できない期間中に模索した自身の「内面との出会い(エンカウンター)」の体験が、瞑想的な音によって綴られている。また、ヨナス・カウフマンは『至福のとき』と題されたアルバムを、4月半ばにミュンヘン郊外の自宅で録音。長年にわたる歌曲のパートナーであるヘルムート・ドイチュとともに、ドイツ歌曲を中心とした27曲のロマンティックなプログラムを収めた。

なかでも貴重なドキュメンタリーとなったのが、バッハ・コレギウム・ジャパンが3月半ばにケルンのフィルハーモニーで録音した『J.S.バッハ:ヨハネ受難曲 BWV245(1739/49版)』である。創立30周年を記念するヨーロッパ・ツアーの途上で、コロナによる公演キャンセルが相次いだBCJは、最後に滞在したケルンでなんとか録音とライヴ・ストリーミングにこぎつけた。警察官がホールに現れ、立ち退きを迫られる状況下での演奏には、ただならぬ緊張感が漂っているのが痛いほど伝わってくる。しかし音楽が進むにつれ、キリストの愛がすべてを包み込んでゆく。

半年どころではない、20年以上にもわたる研究と研鑽を実らせたのは、『J.S.バッハ:ゴルトベルク変奏曲』をリリースしたラン・ラン。かつてニコラウス・アーノンクールの前でこの作品をチェンバロで演奏したとき、「あなたはとても上手に演奏しますが、自分の中に静けさを見つける必要があります」と言われたという。それから10年以上を経て録音を決意してからは、シュタイアーのもとてピリオド楽器による演奏スタイルを学び、バッハがオルガニストとして仕事をしていた街のオルガンを弾き、4つの異なるスコアに向かい、解釈を深めながら日々準備を重ねてきた。そうして録音された《ゴルトベルク》には、心の中に静けさを見つけたラン・ランの成熟が刻まれていると同時に、生来の屈託のなさ、明るさがもたらす光が満ちている。デラックス・エディションにはスタジオ録音のほかに、バッハが眠るライプツィヒの聖トーマス教会で行なわれたライヴ録音も全曲収録されているが、ライヴ終盤でのバッハと対話しているような瞬間は、彼にとってもリスナーにとっても得難いものである。

今月はこのほかにも注目の新譜が目白押しだった。オーケストラでは、パーヴォ・ヤルヴィがフランクフルト放送交響楽団と録音した『フランツ・シュミット: 交響曲全集』、グスターボ・ドゥダメルがロサンゼルス・フィルハーモニックと録音した『アイヴズ:交響曲全集』は、ともにこれらの作曲家の貴重な交響曲全集であり、決定盤となりうる充実度を誇っている。

生誕250年を祝うベートーヴェンの新譜もヴァラエティ豊かだ。ヴァイオリニスト、指揮者、そしてカウンターテナー歌手としても活躍するドミトリー・シンコフスキーが、アレクサンドル・ルディン指揮するモスクワの室内オーケストラ、ムジカ・ヴィヴァとともにピリオド楽器によるヴァイオリン協奏曲を録音。ギドン・クレーメルらは三重協奏曲を、ライネッケ編によるピアノ三重奏版で録音。そしてフランク・ペーター・ツィンマーマンはマルティン・ヘルムヒェンと組んでヴァイオリン・ソナタ全曲録音を始動した。

 

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