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復刻プロジェクト“DEEP JAZZ REALITY”のビクター編は菊地雅章『マトリックス』などハイレゾで甦る珠玉の3タイトル!

2017/10/25
歴史に埋もれた良質のジャズ作品を発掘するリイシュー・プロジェクト“DEEP JAZZ REALITY”。待望のビクター編は、菊地雅章『マトリックス』(1969年)、峰厚介『ダグリ』(1973年)、大野俊三『フォールター・アウト』(1972年)の3タイトルに決定! シリーズ初となるハイレゾ版のマスタリングを手掛けたのは、ビクタースタジオ内の精鋭マスタリング・チーム「FLAIR」(フレアー)のベテラン・エンジニア、川﨑洋さん。プロジェクトを主宰する尾川雄介さん(universounds)が川﨑さんのマスタリング・ルームを訪ね、対談と試聴を通じて3つの作品の魅力やマスタリングの奥義を掘り下げていただきました。

構成・撮影◎山本 昇






■名盤を気軽に入手できない状況に一石を投じたい

--レコード・ショップを経営する尾川さんは、さまざまなリイシュー・プロジェクトを手掛けていますが、そうした活動を始めたのはどんな動機からですか。

尾川 僕が普段から関わっているジャズを中心とした世界では、ハイレゾ配信はもとより、CDで聴くこともできない作品がかなりあるのが実情です。非常に重要な作品なのに、現在のカタログからは抜け落ちて久しいものが実にたくさんあるんです。当のミュージシャンはまだ現役で活躍しているのに、その人のファースト・アルバムや初期録音を手軽に買えないのは残念なこと。彼らをライヴで観て興味を持って、アルバムも聴いてみたと思って検索すれば、大事な作品がパッと出てきてつながっていくといいですよね。手遅れになる前に、やれることはやっておきたいなと思ったのが、このプロジェクトを始めたきっかけです。

--そうした中で生まれたのが、“DEEP JAZZ REALITY”ですね。

尾川 DEEP JAZZ REALITYを立ち上げたのは2006年のことですから、もう11年前になります。僕が中古レコード店“universounds”を始めたのは2001年からなのですが、いろんなレコードを売り買いする中で、もっと多くの人に聴いてもらいたいのに、なかなか手に入りにくい作品の存在が気になっていました。そこで、古い作品をCD化することに興味が沸いてくるわけですが、気が付くとすでにリイシューを実際に手掛けている仕事仲間やお客さん、知り合いがいたんですね。それじゃあ自分でもやってみようと。最初は海外の作品をミュージシャン本人に直接コンタクトしてCD化しました。フランク・デリックの『ユー・ベッチャ!:ライヴ・アット・フィドラーズ』と、ソーラー(S.O.L.A.R.)の『フェイス・フォー・マイ・マインド』の2タイトルです。P-ヴァインから僕の監修という形で出たのですが、それがDEEP JAZZ REALITYの始まりなんですよ。

“DEEP JAZZ REALITY”の主宰者であり、今回のビクター編の監修を手掛けた尾川雄介さん

--最初は海外ものだったのですね。

尾川 はい。ただ、僕自身が日本人のジャズも好きで、よくレコードを買っていたのですが、国内ミュージシャンのCD化も全く進んでいないことに気が付きました。そこでP-ヴァインとも相談し、まずはコロムビアから着手して、稲垣次郎さんの『ヘッド・ロック』、猪俣猛さんの『サウンド・オブ・サウンド・リミテッド』、杉本喜代志さんの『バビロニア・ウインド』など6作品を再発させることができました。それが日本人のジャズのリイシューの始まりです。

--やはり、動機としては歴史の中で埋もれてしまっていた作品を再び世に出したいと。

尾川 そうです。中古レコードの売り買いを通じて見えてくるのは、かなりの名盤なのになかなか手に入れることができないという現実です。そこで、「いま再発できれば、聴きたい人はいっぱいいるのでは」と思う作品をレーベルごとに選んでいきました。

--川﨑さんもジャズは元々お好きだったんですか。

川﨑 ジャズよりも、僕はフュージョンが好きだったんですが、ビクターに入ったことでジャズやフュージョンのアーティストが多く活躍していることを知って、さらに目覚めていくことになりました。

尾川 1969年から1971年まで、ビクターは「日本のジャズ・シリーズ」という作品を20タイトルほど出しているのですが、これがなければ日本のジャズ史も変わっていたんじゃないかと言われる名シリーズです。富樫雅彦さん、原信夫さんとシャープスアンドフラッツ、山下洋輔さんのトリオなど素晴らしいラインアップで、これを聴かずして日本のジャズは語れないというものばかりです。そのうち、今CDなどで買えるのは半分くらいでしょうか。今回再発できた菊地雅章(きくち・まさぶみ)さんの『マトリックス』もその中の1枚です。当時、それらがどれくらい売れていたのかは不明ですが、ビクターはジャズ・シーンにとってもエポック・メイキングなレコード会社だと思います。

川﨑 こうした古い音源は音楽の宝物でもありますよね。ビクターにもそういう作品が眠っているわけで、それを再発する機会が得られるのは非常にいいことでしょう。ただ、社内では動き出すのが難しかったりする場合もありますから、外部の方から「ちょっと、コレ出してみようよ」と言っていただけるのはとてもいいきっかけになると思います。

■「和ジャズ」と「和物」

--ところで、こうしたシーンでよく使われるようになった「和ジャズ」あるいは「和物」の定義とは?

尾川 「和ジャズ」と「和物」と、言い方によって定義が変わります。「和ジャズ」と言うと、基本的には日本を意味する“和”と昭和の“和”をかけたもので、イメージとしては1960年代~70年代の日本のジャズを指すことが多いですね。一方、「和物」と言った場合は日本のジャズに限らず、ロックや歌謡曲なども範疇となり、よりDJの目線が強く入ってくる印象があります。時代的にも音楽的にも、もっと幅広い。
 こうした言い方を好まないリスナーの方もいらっしゃって、その気持ちも分かるんですけれど、これらはいわゆる再評価のあとに出てきた言葉なんですね。それ以前は単に「日本のジャズ」もしくは「日本人のジャズ」と言っていたのが、2000年代半ば頃から再評価が進められ、若い世代が「和ジャズ」と言い始めました。昔から聴いている人からすると、「何だよそれ」って思われるでしょうし、僕もこの言葉を使うのがためらわれることもあるんですが(笑)、今ではそうした音楽を表すアイコンとしてイメージも出来上がっているので、なるべく使うようにしています。

--その1960年代~70年代の日本のジャズは、欧米のそれと比較するとどのような違いがあったと思いますか。

尾川 当時の日本のジャズもいろんなタイプがあったわけですが、例えば、日本の民謡をジャズのイディオムで演奏したりするのはすごく分かりやすい和ジャズのスタイルですね。尺八や琵琶を使った作品もありました。あるいは童謡や古謡の音階をなんとなく採り入れた“和テイスト”のモード・ジャズもまた和ジャズと言っていいでしょう。そして、そういった分かりやすい要素を薄めていって、僕たちが聴いて普通にジャズだと感じるものも、世界基準では少し違って聞こえるのかもしれません。そんな日本人的なジャズの“訛り”を、欧米人の耳は聞き取っていたとも考えられますが、僕らが聴いて、すぐに日本人だと分かるものもあれば、「えー、これも日本人の演奏なの?」というものもある。そういう意外性も含めて、僕は日本のジャズはすごいと思っています。

川﨑 確かにそう言われるとそんな気もしますね。いろんな楽器を混ぜて使う人は今でもいますし、三味線が出てきてもさほど驚かないのは、すでにやった人がいたからでしょう。最初は「そんなのジャズじゃない」とか言われたかもしれないけど、面白い試みだったんだろうと思います。

ビクタースタジオのマスタリング・セクション“FLAIR”の川﨑洋さん

尾川 ただ、フュージョンの時代になると今度は逆に、世界的に見て地域性が薄れていったと思うんですよ。例えば、ウェザー・リポートやジャズ・クルセイダーズから影響を受けて、その流れでフュージョンになっていったミュージシャンは本当に多いですし、またはパーソネルを見ればどれもニューヨークのミュージシャンとの録音だったり。そうなるとやはり地域的な特色は出にくくなっていきますよね。

--当時はそれがいいと思ってそうしていたのでしょうけれど……。

尾川 もちろん、いま聴いて格好いいものもたくさんあります。

川﨑 そうですよね。

尾川 時代の音と言えばそれまでですが、逆にあの時代でなければできなかったことをちゃんとやっています。それはそれですごく格好いい。

--時が経って我々聴く側にも、先ほどの“訛り”を含めて受け止められる余裕ができたという部分もあるでしょうか。

尾川 それもあるでしょうね。

--では、今回のDEEP JAZZ REALITY“ビクター編”3タイトルの選定理由などについて教えてください。

尾川 まず、今回のビクター編で、真っ先に選んだのが、“プーさん”の愛称で親しまれた菊地雅章さんの『マトリックス』です。1960年代から活躍し、ニューヨークに移住した菊地さんは日本のジャズを柱となって牽引したミュージシャンの一人です。公式にはファースト・アルバムとなるこの『マトリックス』は、菊地さんがご尊命の間は再発がNGとされていました。その後、お亡くなりになった2015年に、この意義深い作品をぜひとも再発したいと考え、HMVさんとDEEP JAZZ REALITYのコラボレーションという形で“PROJECT Re:VINYL”と銘打ってアナログ・レコードのリイシューを行う機会に恵まれ、限定盤ではありましたが、多くのファンに喜んでいただけました。今回は、より多くの方にさまざまな聴き方で楽しんでもらうため、CDとハイレゾで復刻させてもらえることになりました。あの菊地雅章さんのファースト・アルバムを手軽に聴くことができない状況をなんとかしたいというのが、いちばん大きな動機です。
 ビクターさんは他にも膨大なカタログがあり、出したいものを挙げれば切りがなかったのですが、その中でも『マトリックス』と並べて遜色のないものは何かを考えて選んだのが、峰厚介さんの『ダグリ』と大野俊三さんの『フォールター・アウト』です。菊地雅章さんのグループから出世した峰厚介さんはいまでも活躍し、現代につながるミュージシャンの一人です。その代表作と言える『ダグリ』も未CD化だったということで選盤しました。
 同じく、大野俊三さんも70年代半ばにニューヨークへ渡り、アート・ブレイキーやノーマン・コナーズの当時のグループに参加して曲も提供するなど、日本から世界に飛び出して大活躍したトランペット奏者で、この『フォールター・アウト』も彼のファースト・アルバムなんです。こちらもこれを機会に、どうしても再発させたいと思いました。

■大事なのは演奏が「格好良く聞こえるか」

--それぞれのマスターの状態はいかがでしたか。

川﨑 マスターは1/4インチのアナログ・テープでしたが、どれも悪くない状態で残されていました。そして、いざ蓋を開けて音を聴いた瞬間に、「いやぁ、よく録れているなぁ」と。もちろん、当時の技術的な制約はあるものの、完成度の高さに驚きました。

--では、今回のマスタリングはどのような方向性で行われたのでしょうか。

川﨑 僕の場合は、どれだけ演奏が「格好よく聞こえるか」を意識します。何はともあれ、まずはそこが大事なんです。オーディオ的な“いい音を”という部分を追求し過ぎると、演奏を聴いて「イェー!」と唸りたくなるような格好よさが置き去りにされてしまうこともあって、「いい音なんだけど、つまらない」ということになりかねません。僕もジャズやフュージョンが好きだったので、心は昔からそっちのほうにあります。マスタリング・エンジニアとして、いい音であるのは当たり前で、その上で、自分なりの個性を含めて格好良く聴かせられるかが大事だと思います。

尾川 なるほど。僕はアナログ・レコードの再発もやらせていただいているのですが、当時のマスター・テープをどうマスタリングするかは、エンジニアの方によってかなり違いがありますよね。オリジナル盤信仰という言葉もあるように、当時の制作に関わったエンジニアの方の想いや個性が反映されていると思いますが、リイシュー版では今の時代の音として生まれ変わる場合もあって、そのあたりも面白いんですよね。

川﨑 レコーディング・エンジニアやミキシング・エンジニアがアーティストと何日もかけてイメージを作り上げていきますよね。そこから商品として仕上げるには、今も昔も、マスタリングという工程が欠かせません。僕もかつてはアナログのカッティング---つまりディスク・マスタリングも行っていました。そのマスタリングの現場では、すごく冷たい言い方をすると、思い入れは特にありません。パッと聴いて、何が多くて何が足りないのかを見極めて、どうすれば格好よくなるのかを提案するんです。それでOKならそのまま進めますし、「いや、そんなに格好よくはなくていい」ということなら、別の方向に切り替える。プロデューサーやエンジニアの想いがまずあって、そこに通りすがりの私がいて、そういうやり取りの中で商品化されていくのがアルバムです。すごく強い想いをマスタリング・エンジニアである自分も持ってしまうと、逆にいいものはできなかったりするんですよ。

尾川 最後の客観的なバイアスをかけるのが難しくなるのですね。

川﨑 ずっと没入してやってきたところに、ちょっと冷静な目で見てもらえるような提案をするわけです。ただ、今回の3タイトルはすべて一人でやっていたので(笑)、まったく個人的な趣味で音は作っています。

尾川 それは楽しみですね。ところで、例えばレコードではフェード・アウトしている曲が最後まで演奏している曲とかはありませんでしたか?

川﨑 今回はレコードと聴き比べることができなかったので気が付かなかったのですが、確かに再発ものにはそういうドキドキ感がありますよね。

尾川 テープを回してみたら1曲多かったとか?(笑)

川﨑 『フォールター・アウト』では逆に、レコードでは4曲入っていたのが、B面の2曲がつながっていたのでトラックを切り分けることができず、3トラック目を「フォールター・アウト~ワンス・アゲイン」とメドレー扱いにしました。

--トラックが分かれていると、ハイレゾの再生ではプレイヤーソフトの設定次第で音が途切れてしまうので、そのほうがありがたいですね。

川﨑 演奏としてつながっていますからね。たぶん、ここから次の曲だなというのはなんとなく分かるんですが、勝手に切るわけにもいきません。

尾川 ご本人に聞いても、もう覚えていないかもしれないし(笑)。

■監修者が語る3作品の聴きどころ

--では、それぞれの作品について、その聴きどころなどを解説していただけますか。

尾川 聴きどころとは関係ないのですが(笑)、もう、ぶっちゃけてお話ししますと、『マトリックス』はめちゃくちゃレアな作品なんですよ。これは現在、本当に入手が困難で、中古市場でも価格はかなり高騰しています。そんなプーさんの『マトリックス』はファースト・アルバムで、しかも面子が当時のレギュラー・メンバーではなかったためか、どこか行儀の良さが感じられます。後年のプーさんを知るリスナーなら、「確かにプーさんなんだけど、ちょっと違うなぁ」という面白さも楽しんでいただけると思います。アルバム中、唯一のオリジナルとして人気曲である「リトル・アビー」の初演が聴けるのも嬉しいところです。編曲にも光るものがあり、例えば渡辺貞夫さんの「スカイ・ウォズ・フイーリング」というジャズ・ロックっぽい曲ではプーさんがハープシコードを弾いています。あの時代にあのような曲調でハープシコードを採り入れたのは、斬新を通り越してほとんど冒険だったのではないでしょうか。
 そして、峰厚介さんの『ダグリ』は全曲オリジナルで、この渾身感はすごい。先ほども言いましたように、峰さんは菊地雅章さんのグループで頭角を現し、フィリップスに残したライヴ録音を最後にグループが解散した直後、今度は自身のグループを立ち上げて録音したのがこの作品『ダグリ』です。ものすごい気合いが音に乗って伝わってくるような熱くて、行き過ぎなくらい勢いのある演奏が展開されています。板橋文夫さんのピアノもまたすごくて、峰さんの気合いの入ったサックスとの見事なうねりも聴きどころの一つです。この時代、この瞬間でなければ生まれなかった作品だと感じます。峰さんのアルバムの中でも際立っていると思いますね。

--『ダグリ』は1曲目の「サースティ」からして、ものすごいカオスが展開されていますね。

尾川 そうなんですよ。峰さん自身、当時のインタヴューでコルトレーンがお好きだと語っているのですが、そうした指向がそのまま出ている感じでしょうか。菊地雅章グループはこの直前に、『ヘアピン・サーカス』という映画のサウンド・トラックも担当しています。笠井紀美子さんも出演しているこの映画には、地下のジャズクラブで彼らが演奏しているシーンも出てくるんですが、これがもう、どこから見てもあやしくて(笑)。峰さんなんか、上半身裸でソプラノを吹いていますからね。そういうイメージもあって、僕の中ではとにかくすごいものになっちゃっているんですよ(笑)。動画サイトにこの映画のトレーラーがあって、そこにも一瞬、峰さんが映っていますので、見ていただきたいですね。
 大野俊三さんの『フォールター・アウト』を聴いて思うのは、やっぱり名手だなということです。ライナーノーツにも書かせてもらいましたが、速い曲のキレとスローな曲での伸びや艶が本当にすごくて、聴いていてうっとりとしてしまいます。ハイレゾなら、そのトランペットがどれだけ気持ちよく聞こえるのかが楽しみですね。大野さんは1960年代の終わりに、高校を卒業してから活動を本格的にスタートさせました。1970年頃に猪俣猛さんのサウンド・リミテッドや、稲垣次郎さんのソウル・メディアなどジャズ・ロック系のグループでの活動を通じていろんな影響を受け、その後、1971~72年頃はジョージ大塚さんのグループに引き抜かれるようにして参加します。そんな折りに登場したのがこの『フォールター・アウト』というアルバムで、大野さんがまだ22~23歳のときの録音ですね。混沌の時代にジャズ・ロックからポンと飛び出したような勢いを反映した、いい作品です。先ほどご紹介したように、このあとにはアート・ブレイキーやノーマン・コナーズのレコーディングに参加していくわけですが、その起点であり始点がここにあると思うと大変意義深いものに聞こえます。音楽的には、ジャズ・ロックのグループでの活動で培った素養もありながら、当時のマイルス・グループの影響も受けていたり。単なるハード・バップとも違って、そうした音像を残しつつも、モーダルなものに傾倒していたりする。ポスト・ハード・バップというこの時代の資質と個人の資質がバランス良く表現されている作品だと思います。

--その『フォールター・アウト』で尾川さんの好きな曲は?

尾川 僕は最初、テンポの速い曲に耳がいっていたんですが、あらためて聴き直してみると「ア・モーンフル・シーン」というスローな曲のトランペットもすごく気持ちがいいんです。音が伸びていく中で艶々としている感じはぜひ皆さんにも味わっていただきたいですね。

--気持ちいいと言えば、1曲目「アルファ」で聴けるエレピの絶妙な歪み加減も素晴らしいですね。

尾川 益田幹夫さんですね。僕もライナーノーツに、「益田幹夫のエレピがいい」と書きました。当時、『ハイノロジー』でジャズの枠を越える勢いだった日野皓正さんが率いたグループに加入して、その音楽性を屋台骨となって支えたのが益田さんです。直後にはフュージョンに向かったことを見ても分かるとおり、新しいものに対して貪欲でした。この曲で聴けるエレピとトランペットの対比は何とも言えず素晴らしいですね。ただ鳴っているだけじゃなく、音のひと塊の中に空間があるような……そういう感じがします。

--このように、歪んでいるけど心地よい音というのは、なかなか説明が難しいですね。

川﨑 そうですね。音の歪みやノイズについては、不快だと感じる人がいれば音楽的に気持ちいいと感じる人もいます。エンジニアとしては、歪みやノイズが認められれば、どんなものであれ作品の技術書に指摘しておきます。そういう部分がありますよという確認としてね。演奏ノイズが入っているとか、エレピが少し歪んでいるとか。それはオリジナルのマスターからあるものだったり、エレピ自体の歪みと思われるものだったりするわけですが、情報としては残しておかなければなりません。個人的にはある種の歪みは気持ちいいと思うんですけどね。

尾川 先ほどの“いい音”と“格好いい音”の違いもそうですが、少しでも問題があるからと無理に直したり、削ったりしてしまったら……。

川﨑 かえって格好悪くなってしまいます。

尾川 ですよね。

■ヒットするマスタリングの秘訣

--先ほど、「完成度が高い」というお話しもありましたが、録音について川﨑さんはどう感じましたか。

川﨑 例えばドラムがセパレートされていたり、楽器の振り分けは当時のオーソドックスなもので、ある意味では新鮮でしたが、録音的にも多分こうしたかったんだろうなというところがなんとなく見えてきたんですね。そこをちょっと細工してあげれば、録音したエンジニアが聴かせたかった部分がより伝わると思いました。

--具体的にはどんなところですか。

川﨑 聴き比べていただくと分かると思います。曲は何にしましょうか。

尾川 では、峰さんの『ダグリ』の1曲目「サースティ」をお願いします。

[マスタリング前の音源を試聴]

マスタリング・ルームのモニターでハイレゾを試聴中

川﨑 まぁ、これでも特に問題はないですよね? では続いて、マスタリング後の音を聴いてください。

[マスタリング済みの音源を試聴]

尾川 ウ~ン、聴き比べてみると、全然違いますね。

川﨑 当時のレコーダーで再生しているわけではないので、何とも言えない部分はあるのですが、マスター・テープを今の機材で再生すると、曲の土台となるところがちょっとなくなっていて、上の方に傾いた感じのバランスになっていました。ピアノはカキンとしか聞こえてこないし、ベースはブンというふうには聞こえてこない。そのあたりの安定感を保てるように、ちょっと細工してあげると実際の演奏に近く聞こえるようになります。シンバルの音が伸びているとか、そういうことではなくて、全体的な演奏の勢いが感じられるようにまとめられたかなとは思います。

尾川 こんなに違いが出るものなんですね。マスタリング前の音も「おー!」と思いましたが、マスタリング後のほうはもうズキューンって感じで(笑)、ビックリしました。それにしてもすごいなぁ。

川﨑 こんな作品があることを、実は知らなかったのですが、いい機会に仕事をさせてもらいました。

--業界では「川﨑さんのマスタリングはヒットする」という噂がまことしやかに囁かれているそうですね。いいマスタリングの秘訣とは何でしょうか。人によっては、マスタリングを最後のお化粧と説明する方もいらっしゃいますね。

川﨑 音楽のタイプによって、それぞれの完成イメージは常に持っています。例えば、歌謡曲なら歌があってオケがある。その対比って言うんですかね。歌とオケのバランスについて、僕の中でこうあってほしいというものがあるんです。マスターの音が、それとかけ離れたものであれば、お化粧どころではなく手術を施さなければなりません。実際にそうしたものはたくさん出ています。

--多いのは、ヴォーカルの音が大きすぎるというパターンですか。

川﨑 いや、小さいんです。

尾川 ほ~、そうなんですか。

川﨑 歌謡曲では声量が多くない歌手もいますよね。その録音現場ではスタッフは歌詞カードを見ながら録音したり、ミックスしたりしています。彼らはその歌を目からの情報を得ながら作業しているということですよね。僕がマスタリングをする際、歌詞カードはありませんから、何を歌っているのか分からない場合もある。そんなときはキュッとメスを握るわけですね(笑)。
 ジャズもそうなんですけど、「何を聴かせたいのか」が再生してすぐに分かる感じにできれば、音楽的にすごく良くなるんじゃないかと思うんですよね。ジャズの場合、例えば途中で入るピアノ・ソロやドラム・ソロが、「あれ? ソロになったけど音か小さいな」みたいなことが……。

尾川 あー、ありますね、そういうの。

川﨑 そんなときはちょっと施してあげるとよくなることがありますね。もちろん、録音がいいものは、もう最初からちゃんと出来上がっていますからね。

尾川 なるほど!

--今回の3タイトルにも、ドラム・ソロがあればベース・ソロもありますから、そのあたりも聴きどころですね。

川﨑 いちばん大事なのは、生の演奏は人間にはどう聞こえているかということ。その音に、音楽としていかに自然に近付けるか。実際の演奏に近いバランスや奥行き、楽器の持つ温かさや強さなどが再現できるようになることを、いつも心掛けています。今回のアルバムも、マスタリング前は、もうちょっとふくよかに鳴って欲しいとか、今ひとつ線が細いかなと感じられる部分もあったかと思いますが、それらも実際の演奏のように聞こえる方向に持っていくようにしました。

尾川 聴き比べてみて、その違いはよく分かりました。もう1曲、大野俊三さんの『フォールター・アウト』から、タイトル曲を聴かせていただけますか。

[マスタリング前/後の音源を続けて試聴]

尾川 はぁ~、全然違いますねぇ(笑)。

川﨑 この曲はお化粧程度の作業ですけどね。

尾川 何だろう。全体として出るとこは出て、引っ込むところは引っ込んでいるというか……。トランペットの聞こえ方も全然違いました。具体的にはどんな作業なのですか。

川﨑 基本的にはイコライザーの処理で、もう少しふくよかさを出したり、キラキラした感じにしたりしています。今回はコンプレッサーで音を潰すような音楽ではありませんからね。

尾川 先ほどおっしゃったように、マスターが元々持っていた方向性を見極めて、伸ばすべきところを伸ばしていくという川﨑さんの手腕もすごいし、マスター・テープにそれだけのポテンシャルが備わっていることにも驚きました。

川﨑 それをしっかりと引き出すのは、マスタリング・エンジニアとしては当たり前の仕事だと思うんです。無理やり作って、本来の方向性とは違うものになってしまうのもおかしな話ですよね。

尾川 過去の音源と今の作品では、マスタリングの考え方は違ってきますか。

川﨑 いや、同じですね。僕にとってはどちらも新録音のようなもの。ジャズとポップスで注目するポイントは異なりますが、先ほど言いましたように最終的に格好いい音を目指したいというところは共通しています。

「よく聴くと、空間の見え方が変わることに気付いてもらえると思います」とハイレゾ版の魅力を語る川﨑さん

■レコード店長が聴いたハイレゾの印象は?

--尾川さんは、ハイレゾの印象はいかがでしたか。

尾川 こんなすごい音を聴かされては、もう後戻りができなくなりそうですね。ただ一方で、やはりアナログ・レコードの面白さというのもありまして。今回の3タイトルもそうですけど、当時はLPという形でリリースされることを前提に作られていますよね。紙とヴィニールでできていて、ジャケットはこのサイズ。A面にはどの曲を並べようかとか、そういう構成によってまた違った物語が始まっていたり……。

川﨑 確かに、レコードの楽しさはそこにあると思いますね。音質を極めるというよりは……。

尾川 音質を吟味できるほどのシステムで聴ける人がどれだけいるのかということもありますよね。

川﨑 そうですよね。

尾川 当時作られたのがこの形であるということを慈しみながら、一緒になって楽しむというのがアナログの良さでしょう。そして、当時の録音が狙っていたであろう姿をベストな状態で聴けるハイレゾもまた素晴らしい。今だからこそここまで聴けるのは幸せなことですよね。昔のリスナーは“レコードの音”で止まっていたわけですから、非常に意義のあることだと思います。どうせなら、レコードとハイレゾの両方を楽しみたいと言ったら贅沢でしょうか(笑)。

マスタリング・ルームで試聴したハイレゾ・サウンドに驚きの声を上げる尾川さん。「僕のように今までアナログの音をずっと聴いてきた人にとっても、ハイレゾは新鮮な驚きを与えてくれますね」

--今だからこその楽しみ方もあるということもありそうですね。

川﨑 過去の音源のリマスターでは、さまざまな制約によって当時はできなかったことが、今なら可能になることもあります。デジタルのエフェクターにもいいものがいっぱい出ていることもあり、それらを使って試行錯誤すれば、恐らく制作当時に理想としていた音に近付けることもできるんです。僕自身、アナログ・レコードのカッティングを担当した作品では、「そうそう、あの時、本当はこうしたかったんだ」と思い出すこともあるんですよ。

尾川 それは、どれくらい前の音源に感じるものなのですか。

川﨑 2000年以前のものでも、できなかったと感じることは多いです。デジタルのプラグイン・エフェクターを含めて、いろいろなことができるようになったのは、わりと最近のことなんですよ。

尾川 今も昔も、作っている段階で理想の音がちゃんとイメージされているからこそ、リマスタリングでそれを再現できるわけですね。

川﨑 そうですね。理想とする音がないとマスタリングはできないです。先ほどもお話ししたように、まずは音源を聴いて当時のエンジニアたちが目指したものを想像して、それを考慮しながら自分の理想の音に近付けていきます。ジャズやポップスはもとより、それはクラシックでも演歌でも同じなんですよ。

--では最後に、ハイレゾでこれらの作品を楽しもうというリスナーへ向けて、一言ずつコメントをいただいて終わろうと思います。

川﨑 もちろん、CDでもちゃんと表現はできているんですが、ハイレゾはさらにもう少し空間が見えるはずです。その違いを聴き比べていただければ、楽しさも倍増するんじゃないかと思います。それもハイレゾの醍醐味でしょうね。

尾川 先ほども話題になったように、録音当時に目指していたのは「本当はこういう音だったんじゃないか」と思いを巡らせるのも面白いですよね。そして、こうしたハイレゾを通じて60年代や70年代の音楽など過去の作品に皆さんが興味を持ってもらえれば、作品の復刻もしやすくなりますし、中古レコード店も賑わいます(笑)。どっちの向きの流れも活発になってくれると嬉しいなと思いました。高円寺駅から徒歩5分の当店にもぜひいらしてください(笑)。買い取りもやっておりますので、お気軽にどうぞ!

マスタリングにはアナログ機材も欠かせない。写真のSONTEC MES-432Bは川﨑さんが入社当時から愛用しているパラメトリック・イコライザー

DAWは使いやすさと音質の両面からMAGIX Sequia(セコイア)を使用

「音が分かりやすい」と川﨑さんが信頼を寄せるラージ・モニターはGENELEC 1033A

JR高円寺駅南口のアーケード街にあるレコード店「universounds(ユニヴァーサウンド)」の店内。「ジャズを中心に、ソウルやファンクも多数取りそろえています。ブラック・ミュージックと日本人のジャズも幅広く扱っていますので、ぜひお立ち寄りください」と尾川さん(写真提供も)。店舗の詳細はこちらへ