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マンハッタン・ジャズ・クインテットを率いるデヴィッド・マシューズが語る「音楽人生とMJQ」

2017/02/22
1984年のアルバム・デビューから33年目に突入したマンハッタン・ジャズ・クインテット(MJQ)が、新たなメンバーとともにスタンダード・ナンバー30曲を新録音! e-onkyo musicでは、CDリリースに先駈け、ハイレゾ版の独占配信をスタート。4月19日の『I Got Rhythm』まで10回にわたる連続リリースを継続中です。ここでは、キャプテンハットがお似合いのリーダー、デヴィッド・マシューズさんへのインタビューをお届けします。

取材・文◎大山哲司 通訳◎佐々木南実 撮影◎山本 昇

MJQ新メンバーによるスタンダード・ナンバー30曲(新録音)を隔週で独占配信中!




 ファンクの帝王、ジェームス・ブラウンのアレンジャーとして頭角を現し、1980年代半ば以降は30余年にもわたって自らのグループ、マンハッタン・ジャズ・クインテット(以下MJQ)を率いてきたデヴィッド・マシューズ。現在は日本に居を構えるデヴィッドをキングレコードに訪ね、音楽を志した頃のエピソードや新作について話を伺った。

■「プレイ」という言葉の意味

--まず音楽的なバックボーンから伺いたいと思います。音楽の道で生きて行こうと思われたキッカケは?

デヴィッド・マシューズ(以下デヴィッド) 決定的な出来事はないんだ。自我が目覚める前から音楽に浸っていたので、物心ついたときには音楽のことしか頭になかった。それ以降はずっと音楽家として生きてきたんだ。

--子どもの頃はどんな音楽を聴いていたんですか?

デヴィッド 9歳か10歳の頃だったかな、初めて父にレコードを買ってもらったんだ。僕が音楽に興味を示しているということが分かったんだろうね。それがベートーヴェンの交響曲第五番。何十回も聴いたよ。そのうちに楽譜というものがあるらしいと分かり、頼み込んで買ってもらった。レコードをかけながら楽譜を見ていたんだが、第一楽章などは速すぎてとても目で追えるものじゃなかった。だけど低音部分だけはなんとか目で追えて、それを何回も繰り返していたことを覚えているよ。まさに「運命」だったんじゃないかな(笑)。

--ピアノを弾き始めたのは?

デヴィッド 母がピアノ教師だったので、育った環境の中にはずっとピアノがあった。母が持っていた教則本を手に「教えてちょうだい」と頼んだら、最初の一冊を教えてくれた。「じゃあ、次の教則本も教えて」と言ったら、「もう教えない」と言われたんだ。何年もの間、練習をしなかったから教えてもらえなくなったんだと思っていたんだけど、後に本当は僕の手のコンディションを考えて、「ピアノ弾きになれるなんていう夢をこの子に見せちゃいけないと思って教えるのをやめたんだよ」と叔母から聞かされた。でもどっちみちピアノ弾きになっちゃったんだけどね(笑)。“PLAY”という言葉には“演奏する”という意味と、“遊ぶ”という意味があるよね。僕の場合はまさに遊んでいただけで、ピアノは自己流なんだ。何年も何年もピアノと戯れているうちに弾けるようになっちゃったんだ。

--作曲や編曲は専門教育を受けたんですか?

デヴィッド 昨日たまたま審査員としてあるコンサートに行ったんだが、そこでジョン・フィリップ・スーザの「星条旗よ永遠なれ」が演奏された。曲の最後の方にピッコロがカウンター・メロディを吹く部分があるんだけれど、それを聴いて、幼い頃に「こういう曲を作りたい」と思ったことを鮮明に思い出した。でも曲を作りたいと思ったものの、そのやり方は知らなかった。それで両親に「作曲の仕方を習いに行かせて欲しい」と頼んで先生に付けてもらったんだ。



■帝王ジェームス・ブラウンとの想い出

--初めて経験したレコーディングのプロジェクトは覚えていますか?

デヴィッド 最初はやはりジェームス・ブラウン(以下JB)だったね。僕は1960年代の終わり頃、オハイオ州シンシナティで人気のあるジャズ・バンドに所属していて、週6回はクラブでライブをやっていたんだ。JBはシンシナティにあるキング・レコード(1943年に設立されたアメリカのレコード会社)のスタジオでよくレコーディングをしていたんだが、ある日たまたまJBのマネージャーが彼をクラブに連れてきた。彼はバンドのことを気に入って、レコーディングしたいと言ってくれた。でも「ライブでは良くても、レコーディングでヘボかったら嫌だから」ということで、「まずデモを6曲作ってくれ」とオーダーされたんだ。JB側からは「アレンジャーはウチから出すから」と言われたんだけど、バンドのメンバーが「いいアレンジャーがいて、どんな曲でもできる」と言ってくれた。「いやいや、ウチはジャズじゃなくて、ファンクなんだよ。できないでしょ?」と言われて、「いや、できます」と答えたものの、実は何のことか分からなかったんだよ(笑)。
 でも一応6曲レコーディングして、翌月JBが再びシンシナティにやってきた時に聴いてもらったら、「何だこれは? ヒップじゃなくてストレートじゃないか。これじゃ使えない」と言われたんだ。その言葉は忘れられないね。そうしたらエンジニアが「3曲目のこのあたりはジェームスさんの好みだと思うので聴いてください」と言って、その部分をプレイバックしてくれた。するとJBは「いいじゃないか」と言ってくれ、「でも覚えておけよ。ヒップな(ノリの良い、かっこいい)アレンジは頭にもってくるんだ。そうしないと誰も聴いちゃくれないよ」という教えを授けてくれた。結局6曲全部アレンジし直して、JBのアルバムなどに収録されることになった。それが初めてのレコーディング経験だったよ。

--それからJBとは長い間一緒に仕事をすることになるわけですね?

デヴィッド そうだね。長い付き合いが始まった。彼は常に全力で、みんなにも100%で走り続けることを求める人だった。本当に頑張っていないと怒られる。ショーの間も常にみんなのことを見ていて、パッと振り返って指を指されたら「あっ、ヤバい! これで5ドル引かれた!」と思ったもんだよ(笑)。一緒に仕事をするようになった頃に、ポップとファンクを半々ぐらいに融合させてアレンジした曲があったんだ。オハイオのキング・レコードのスタッフたちの間では「JBの作風とは違いすぎるんじゃないか? JBのシングルとして出すのはどんなもんだろう?」という論議が巻き起こった。それほど毛色の違う曲だったんだ。バート・バカラックが作曲した「Any Day Now」という曲で、結局「Mother Popcorn」というシングル・ヒットを産んだ『It's a Mother』(1969年)というアルバムに収録され、今ではソウル・スタンダードと言われるようになった。すごく印象に残っている曲だよ。

■MJQサウンドの極意とは?

--1984年にMJQを結成することになるわけですが、そのキッカケは?

デヴィッド まずはプロデューサー、川島重行さんとの出会いだね。彼は当時営業を担当していたんだけど、その際にアレンジャーとしての僕の作品を印象深く思ってくれていたようだ。その後プロデューサーに転身し、ピアニスト益田幹夫さんのレコードを作った。その時、僕に連絡をくれてアレンジを依頼されたのが最初の出会いだ。ファンキーなストリングスのアレンジをしたことを覚えているよ。当時日本ではバブルが始まり円高が進行していたこともあり、ニューヨークのトップ・ミュージシャンを使ってレコードが作れるという経済状況になっていたんだね。それから何枚かレコード制作に参加した。そうした作品のレビュー記事などでお世話になっていた『スイングジャーナル』誌の当時の編集長、中山康樹さんと川島さんの二人の間では「ジャズをもっと流行らせたいよね」といった話をしていたようなんだ。そこで中山さんが「マシューズと一緒にハッピーなジャズを演奏するバンドをやってみたら?」と提案してくれた。ジョージ・ヤング、スティーヴ・ガッドといったメンバーの名前が挙がり、ジョージがルー・ソロフを紹介してくれた。当時18歳ぐらいだったベースのチャーネット・モフィットが最後に加わり、あとは僕がアレンジしてレコーディングすればいいだけという体勢が整ってしまったんだ。そのようにして始まったのがMJQなんだよ。

--トランペットとテナー・サックスを加えた5人という編成がMJQの最大の特徴でもあり、魅力ではないかと思うんですが、いかがですか?

デヴィッド 編成自体は比較的オーソドックスなものだと思うよ。1950年代のマイルス・デイヴィスもそういう編成だったし、特に目新しいものではなかった。でも従来だったら2管がユニゾンでメロディを奏で、それぞれのソロがあって、またメロディを一緒に吹くというアレンジが一般的なんだが、僕のアレンジでは、音楽的にけっこう複雑な役割を二人に与えている。メロディとカウンター・ラインといったようにね。強いて言えば、それがバンドにユニークな色を与えているんじゃないかな。

--今回配信される曲の中にもスタンダード・ナンバーがたくさんありますが、MJQ流にアレンジする際に心がけていることは何かありますか?

デヴィッド 実は先日、日本国内を4日間、毎日6時間ぐらい車で長距離を移動したことがあって、その時にMJQのボックスセットをずっと聴いていたんだ。随分久しぶりに聴く曲もあったんだけど、改めて聴いてみて、30年間も変わらぬサウンドとクオリティを保ってきたのは凄いことだなと思った。だからそこには1本筋が通っているんだろうとは思う。MJQらしさを出している特別なレシピがあると思うんだけど、それが何なのかは自分でもよく分からない。アレンジのテクニックとして言えることは、何をやるかというよりも、何をやらないかという決断がサウンドに与える影響が大きいんじゃないかな。マイルス・デイヴィス・クインテットやアート・ブレーキー・バンドのようなことはやらない。そういうメジャーなサウンドの影響を引き算していくと、何かユニークなものが生まれてくるような気がするね。

--MJQのアレンジをするときに、ピアニストとしてのデヴィッド・マシューズにはどんな役割を与えているんですか?

デヴィッド まず最初に決めるのは、その曲にピアノ・ソロが必要かどうかということ。その上で、伴奏者としてホーンの後ろにいるというのが僕の仕事の90%だ。ジャズ・ピアニストなら誰でもできることなんだが、何年もやっているうちに自分ならではのスタイルを確立できたと思っている。でもそれはほとんど無意識でやっていることなんだ。50年ぐらい前に「お前のピアノはドラムみたいだな」と言われたことがあって、すごく印象に残っている。それが自分のピアノの特徴をよく言い表しているんだと思う。僕にとってリズムというのはすごく重要な要素なんだ。残りの10%ではサウンドにスパイスを加えるような役割を担うこともあるけどね。

■ハイレゾ版はピアノの倍音表現も楽しみ

--今回のハイレゾ配信にいて、何か期待されていることはありますか?

デヴィッド レコーディングではなく、純粋にサウンドを聴くためだけにスタジオに入ることがあるんだ。いいサウンドをコントロール・ルームで聴くということは、家で聴くのとは全く違う体験だ。ハイレゾで配信されることによって、リスナーの皆さんがスタジオで聴くのと同じようなサウンドを体験できるだろうことは保証するよ。全く新しい体験になるんじゃないかな。テープレコーダーより前にワイアーレコーダー(鋼線式録音機)というものがあったのをご存知かな? レコーダーの元祖とも言うべきもので、針金に電気信号を記録するものだった。7歳か8歳の頃、父の教会にそれがあって自分の声を録音してみたりしていたんだ。それからテープの時代になった。JBと最初のレコーディングを経験した頃は2トラックの最新レコーダーがスタジオに導入されたばかりだった。半年後にはニューヨークのスタジオに4トラックのレコーダーが導入され、数年後には8トラックになった。それからデジタル・レコーダーになり、今ではハイレゾ。まさに録音の進化を体感しながら生きてきたという感じだね。

--お好きなピアノのサウンドは?

デヴィッド 基本的には曲によるし、プレイヤーにもよると思うんだけど、個人的には低音部が太くて高音がはっきり出るピアノが好きだね。ハイレゾでピアノの高次倍音が強く出るような部分がはっきり聞こえるようになると思うと楽しみだね。

--今回のレコーディングについて教えていただけますか?

デヴィッド 去年の1月にニューヨークでレコーディングをしたんだよ。ニューヨークに住んでいた頃に使っていたスタジオを4日間押さえた。1日9時間予約していたんだが、みんなものすごく達者なので、5時間ぐらいで終わって早く帰れる日も何日かあった。合計30曲を録音したので、3枚のCDにして順次リリースしていく予定だよ。そうそう、MJQには新しいリズム・セクションが入ったんだ。多くの人が推薦してくれたクリフ・アーモンドというドラマーが決まり、彼の紹介でベースのハンス・グラヴィシュニクが入った。レコーディングが初対面だったんだが、二人とも若くて仕事が早く、イケメンだ。クリフは“くるり”というバンドのサポートで日本にも来ていたから、ご存知の方もいるんじゃないかな。

--e-onkyo musicのリスナーに向けて、ひと言メッセージを。

デヴィッド 常に最新の機材とテクノロジーを使ってレコーディングしてこられたことは本当に幸運なことだ。とはいえ一番大事なのは音楽そのもの。ハイテクの恩恵に浴し、皆さんにより良い音楽体験をしてもらうためには、ぜひ良いスピーカーで我々の音楽を聴いてほしいね。最高のサウンドをエンジョイしてもらえると思うよ。