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連載『辛口ハイレゾ・レビュー 太鼓判ハイレゾ音源はこれだ!』 第3回

2013/12/17
ハイレゾ音源探索のご参考に、毎回とっておきの作品をご紹介する連載『辛口ハイレゾ・レビュー 太鼓判ハイレゾ音源はこれだ!』、第3回は、歴史的な演奏を振り返る"N響アーカイブシリーズ"から、朝比奈隆の指揮、NHK交響楽団による1986の録音『ベートーヴェン:交響曲第9番「合唱付き」』です!
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【バックナンバー】
<第1回>『メモリーズ・オブ・ビル・エヴァンス』 ~アナログマスターの音が、いよいよ我が家にやってきた!~
<第2回>『アイシテルの言葉/中嶋ユキノwith向谷倶楽部』 ~レコーディングの時間的制約がもたらした鮮度の高いサウンド~
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第3回 『ベートーヴェン:交響曲第9番「合唱付き」(1986)』 NHK交響楽団, 朝比奈隆
~ハイレゾのタイムマシーンに乗って、アナログマスターが記憶する音楽の旅へ~

■ オーケストラの位相問題を考える

クラシック作品の中でも、特にオーケストラの演奏はハイレゾ規格に向いているはず。例えば、器に料理を盛りつけるとします。オーケストラという大人数による演奏は、料理の品数が多いようなものです。盛り付ける器が大きいほど、ひとつずつの料理の占めるスペースが広くとれるのは間違いなし。オーケストラは、ハイレゾ規格が活きる演奏形態ではないでしょうか。もしかすると従来のCD規格では、オーケストラ作品にとって器が小さかったのかもしれません。クラシック・ファンの方なら、ハイレゾ音源に大きな期待を寄せている方も多いと思います。今回は、オーケストラ作品の太鼓判ハイレゾ音源をご紹介しましょう。

しかし、実際に探し初めてみると、なかなか「これだ!」という作品に出会えません。私の印象なのですが、どうもオーケストラのサウンドが混沌としているように感じるのです。この"混沌"の原因を探るには、"位相"が鍵を握っているように思います。

著書『リスニングオーディオ攻略本』の12章「位相を制するものは、オーディオを制す?」で、私は"位相=立体表現を実現するための座標情報"と解説しました。オーケストラの音源は、この位相が良い状態で収録されているものが圧倒的に少ないのです。その結果、音楽の立体情報が上手く再現できず、混沌としたサウンドになっているように感じます。

下図は、著書『リスニングオーディオ攻略本』から拝借した位相のイメージです。左右のスピーカー周辺には、目には見えない格子状の座標があると想像してください。このXYZ軸の交点は、音の住所のようなものです。オーケストラは大人数での演奏ですので、この音の住所配置がかなり混雑しています。XYZ軸の情報がゆがんで記録されると、音と音が喧嘩をするように増幅と相殺を繰り返します。そうなると聴く側は、なんだかモヤモヤしたサウンドとなって音楽をキャッチすることになるのです。


図: 位相を立体表現のための座標情報と考える (リットーミュージック刊 『リスニングオーディオ攻略本』 より)

オーケストラ再現の難しいところは、生演奏の段階からこの位相問題が発生するところでしょう。音楽が一体となって会場いっぱいに広がるためには、各演奏者の力量とバランスはもちろん、会場の音響、聴衆のエネルギーなど様々な要素が複雑に絡んでいます。そしてそれらをコントロールして立体的な音楽を出現させるのが指揮者の力です。

たとえ素晴らしい生演奏が繰り広げられたとしても、どうやってそれをレコーディングするかというのが次の難問。マイクの種類やその設置方法など、現代においても答えは見つからず試行錯誤が繰り返されています。更に、演奏が素晴らしく記録できたとしても、その音楽をどうやって音源化するのかも問題です。クラシック作品は、マスタリング処理を嫌う傾向にあります。音に手を加えるのは音楽への冒涜であると。もちろん私もエフェクティブなマスタリング加工は否定的です。しかし、位相の悪さを救済するテクニックを持つマスタリングエンジニアが存在するのも事実ですから、そういった音楽にプラスとなる技術ならば大歓迎。クラシック作品は伝統があるがゆえに、位相問題の解決はなかなか難しいものがありそうです。

「オーケストラは、生演奏でも混沌としているものだよ。」オーケストラ演奏の太鼓判ハイレゾ音源を捜すべく、クラシックを得意とするオーディオ関係者にも何人かアドバイスを求めてみましたが、帰ってくるのは歯切れの悪い答えがばかり。しかし、私には確信がありました。というのも、CD盤には位相が美しく記録され、きちんと音楽が立体的に聴こえる音源が存在するからです。CDにできてハイレゾにできないことがあってはならない。なんのための上位規格か。これだけクラシック作品が数多くラインナップされているのですから、お宝級のハイレゾ音源がその中に必ず眠っているはずです。

私の狙っているのは、音楽が「ブワッ!」と飛び出すような作品。せっかくのハイレゾ音源です。こぢんまりした音でスピーカーの奥の方に定位するオーケストラでは物足りません。CD規格の「ブワッ!」を圧倒的に上回る「ブワッ!」を、私はハイレゾでどうしても聴きたいのです。

音質よりも演奏のほうが大切なのはもちろんですが、それではハイレゾ規格の音源として評価する意味がありません。クラシック作品に限らず、CD音源やネット動画でも素晴らしい音楽はたくさん存在します。それでもハイレゾ音源を手にしたいのは何故か。それは、少しでも音楽に近づきたいという心の欲求です。一枚でもベールの向こうの音楽に手を触れたい。そのためにハイレゾ時代が到来したのですから、ここはもう妥協せず最高のオーケストラのハイレゾ作品を探したいと思います。目指すは、演奏は熱く、サウンドはスピーカーから「ブワッ!」と飛び出してくるような、とびっきりの音源です。

■ハイレゾで蘇る、1986年の熱演のアナログテープ・マスター

クラシックジャンルのハイレゾ音源は数が多いので、やみくもに探すのも難しそうです。ここはレーベルとしての取り組みに的を絞り、どのように手持ち音源をハイレゾ化しているのかに着目してみました。

興味深いのが、ナクソスジャパンの"N響アーカイブシリーズ"。NHKが所有する多くのアナログテープ・マスターで残された名演の数々。その貴重な音楽の遺産を、ハイレゾ音源化しているのが"N響アーカイブシリーズ"です。なんといっても私が注目したのは、その編集・マスタリングを音響ハウスのエンジニア石井亘氏が担当しているところ。音響ハウスは、私もストリングス・セクションのレコーディングで使用したことのある、日本を代表するスタジオです。その音響ハウスで腕を振るっているエンジニア石井亘氏のマスタリングとあっては、これはもう期待せずにはおれません。

早速、"N響アーカイブシリーズ"をいくつか購入して聴いてみますと、もともとのマスター音源に音質差があるためか仕上がりのサウンドに多少のバラつきはあるものの、全体的に好印象です。なかでもキラリと光るハイレゾ太鼓判音源を見つけましたのでご紹介しましょう。

『ベートーヴェン:交響曲第9番「合唱付き」(NHK交響楽団/朝比奈隆)(1986)』
(96kHz/24bit)&(192kHz/24bit)
/朝比奈隆(指揮)NHK交響楽団


このハイレゾ音源が誕生するまでの過程から、"N響アーカイブシリーズ"の本気度が伝わってきます。NHKに保管されていたマスター音源は、2トラック・38cm/sec、いわゆる6ミリのアナログテープ。テープ倉庫に眠っていたこのアナログマスターは、残念ながらそのまま再生機で回すことはできません。テープ素材自体に経年変化が生じている可能性があり、テープ磁性体の剥離が懸念されるためです。状態の悪いアナログテープを再生すると、黒い粉が飛び散り残ったのは透明のテープだけ・・・という笑えないエピソードを多く聞きます。そこまで最悪の状態でないにせよ、デジタル化されたデータと異なる恐さは、アナログテープのデータは一度痛んでしまうと復元する方法が無いということ。まさに失われた音は元には戻せないのです。

そこで、今回のアナログマスターは、テープを再生する前に専門会社に依頼して"釜入れ"と呼ばれている熱処理を施し、磁性体が剥離しないよう取り扱いに細心の注意を払ったとのこと。ハードディスクを持ち運ぶだけ、更にはネット通信でやりとりできるデジタルマスターとは大違いの道のりが、アナログテープ・マスターは再生する前段階から存在するのです。

そしてそのアナログテープを再生するのは、名機スチューダー/A820。A820のアナログアウトは、それはもう現代のマシンでは真似できないような極太のサウンドを聴かせてくれます。音響ハウスのA820ならば、日々の作業でも使用されている現役のテープデッキでしょうから安心です。

本作の特徴的な2つの波形データを見てみましょう。まずは第3楽章です。


18:32の演奏時間のうち、音量が上昇するのは13分前半と14分中盤付近のみ。第3楽章は音のアクセルを踏むことなく、そのエネルギーを小音量で持続し表現しているのが波形データから読み取れます。

次に第4楽章です。


音の抑揚が目で見てもわかる美しい波形データ。最小音量と最大音量の対比が凄まじいです。クレッシェンドの様子も綺麗に描き出されています。まるで朝比奈隆氏のタクトが見えてくるよう。このダイナミクスこそ、この第4楽章の聴きどころと言えるでしょう。

2つの波形データを見てわかるように、本作は音の抑揚を第一に考えた仕上がりで、かなり音圧は小さめです。ポップスやロック作品と同じくらいの音量で楽しむためには、アンプの音量を大きく上げる必要があります。いつものボリューム位置で聴いたら、「なんだか迫力がない音だな~」で終わってしまうでしょう。我が家のアンプでは、通常が11時くらいのボリューム位置で、この第9を聴くときは12時から1時くらいまで音量を上げます。ボリュームのツマミをカチカチと4~6ステップ回しますから、8dBから10dBくらいの音量アップで聴いているのだと思います。

近年のデジタル録音ほど高域や低域が伸びているわけではありませんが、この弦楽器の切れ味、そしてズドンと腹にくるような低音はいったい何なのでしょう。アナログテープ・マスターには、計り知れない音楽の魅力が記憶されていたのです。とはいえ、いくらアナログ録音が素晴らしいからといっても、テープの釜入れもスチューダー/A820による再生も一般家庭では真似できません。それが今、アナログテープ・マスターの音楽の記憶へアクセスするという夢を、ハイレゾ規格が叶えてくれました。このハイレゾ音源があれば、私たちは1986年4月のNHKホールへ旅立ち、朝比奈隆氏とNHK交響楽団に出会うことができるのです。このタイムマシーン、乗らずにはいられません。

さあ、皆様のお宅でも、目の前にオーケストラが出現したでしょうか?単にアンプで音量を上げたからといって迫力が出るというものではありません。ここで前述の位相表現の良さが効いてきます。熱い演奏が「ブワッ!」と飛び出してくれば大成功です。

本作は、非常に安価なのも魅力のひとつといえるでしょう。クラシック・ファンはもちろん、「ハイレゾのオーケストラってどんな感じだろう?」と興味のある方にもお薦めします。ハイレゾのデモンストレーション音源としても最高です。

アナログテープの寿命を考えると、これが最後のハイレゾ化作業だったのではないでしょうか。こうして1986年の熱演を素晴らしいサウンドで我が家に届けてくれた、スタッフの皆さん全員に拍手を贈ります。このオーケストラの大迫力ハイレゾ音源、太鼓判です。

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筆者プロフィール:

西野 正和(にしの まさかず)
3冊のオーディオ関連書籍『ミュージシャンも納得!リスニングオーディオ攻略本』、『音の名匠が愛するとっておきの名盤たち』、『すぐできる!新・最高音質セッティング術』(リットーミュージック刊)の著者。オーディオ・メーカー代表。音楽制作にも深く関わり、制作側と再生側の両面より最高の音楽再現を追及する。自身のハイレゾ音源作品に『低音 played by D&B feat.EV』がある。