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斉藤由貴のアナログ・レコード時代の69曲がハイレゾで甦る! アレンジャーとしてその世界観の構築に貢献した武部聡志さんが語るサウンドの秘密とは?

2016/07/20
アニメ『めぞん一刻』のオープニング・テーマ「悲しみよ こんにちは」でもお馴染み、かつてアイドルとして一世を風靡した斉藤由貴さん。そのファースト・アルバム『AXIA』(1985年)から『PANT』(1988年)まで、アナログ・レコードとしてリリースされた5枚のオリジナル・アルバムからの69曲が、オリジナルのマスター・テープからマスタリングを施したハイレゾで甦ります。e-onkyo musicでは、ほとんどの楽曲でアレンジを担当している武部聡志さんにインタビュー。雑誌『キーボード・マガジン』元編集長・大山哲司さんが、当時のサウンド・プロダクションの秘密に迫ります。

インタビュー・文◎大山哲司 撮影◎山本 昇



『AXIA[Remaster]』/斉藤由貴

『ガラスの鼓動[Remaster]』/斉藤由貴



『チャイム[Remaster]』/斉藤由貴

『風夢[Remaster]』/斉藤由貴



『PANT[Remaster]』/斉藤由貴

『オリジナルアルバム未収録曲集
~アナログ盤リリース分~』/斉藤由貴



『ハイレゾお試しシングル7』/斉藤由貴




〈ハイレゾでリリースされる作品中、ほとんどの楽曲でアレンジャーを務めた武部聡志さん〉

■ 独特の浮遊感がある歌声とサウンド・メイク

 80年代アイドルの中でも独特の存在感で多くのファンを魅了していた斉藤由貴。今なおその輝きは健在だ。デビュー曲「卒業」は毎年春先になると必ず耳にする定番ソング。ふんわりと柔らかな彼女の声を生かしたサウンドも印象的だ。その斉藤由貴が1985年から88年にかけてリリースした69曲のハイレゾ配信がスタートした。そのほとんどをアレンジしているのが、松任谷由実のコンサート・ツアーで音楽監督を務めていることでも知られる武部聡志。武部にとってもこれら一連の作品は、自らのアレンジャー人生を変えるキッカケとなった印象深いプロジェクトだったそうだ。

 ヒットチャートに名前が出て、業界の中でも名前が知られるようになったのは由貴ちゃんの「卒業」からです。ポニーキャニオンのディレクターだった長岡(和弘)さんが、小林麻美さんのアルバムにおける僕のアレンジを聴いてくださり、ぜひ一緒にやりたいと言ってくださったんです。

 当時、アイドルのアルバムは1曲ごとに作家もアレンジャーも変わるというのが常識だったんですが、長岡さんは由貴ちゃんをプロデュースするにあたって、何年間か同じ人でサウンド・メイクして彼女の世界を作りたいという思いを持っていらしたんですね。1曲だけではなくて、斉藤由貴とがっぷり四つに組んでしばらくやってほしいというお話だったんです。僕としては願ったり叶ったりでした。時間を共にしながら作っていける機会が得られるのは嬉しいことだったので、喜んでお引き受けしました。

「卒業」や「AXIA~かなしいことり~」がまず最初にあって、84年にレコーディングしました。その段階ではまだアレンジャーとしての関わりだったんですが、アルバムを作るときには、作家のデモテープをスタッフと一緒に聴いてアルバムに入れる曲を選曲したり、サウンドをどのように作っていこうかという構想の部分から関わらせていただきました。斉藤由貴プロジェクトにスタッフの一員として迎え入れてもらったという感じでしたね。

 由貴ちゃんとは、歌入れをしているレコーディング・スタジオに訪ねていったのが初対面でした。後から考えると、そのときから柳の枝のようにしなやかな印象を受けたように思います。パッと何かが返ってくる感じではなくて、独特の浮遊感……何か逸らされるような感じがありました。それが由貴ちゃんの魅力の一つですね。歌い方もパワフルにバンとぶつけるような感じではなくて、人柄と同じように浮遊感があって漂うような印象。汗を感じないボーカリストですね。だから僕もすごくサウンドを作りやすかった。エモーショナルな表現をしても、あまりエモーショナルには聞こえない。もっとしっかりしたメッセージを伝えるようなボーカリストだったら、このようなサウンドにはなっていないかもしれません。

 当時のアイドルものにはソウル・ミュージックから脈々と続いてきたアメリカン・ポップスの要素を入れ込んだサウンドが多かったんですよ。でも由貴ちゃんのサウンドにはアメリカン・ポップスっぽいエッセンスがほとんどありません。すごく明るい曲でもウェストコーストっぽい感じにはならなかったんですね。

 アレンジやサウンド・メイクというのはアーティストの背景を作る仕事なんですよ。斉藤由貴というフロントに出る人の背景の絵をどう描くか。だから由貴ちゃんのふわっとした不思議な印象は、ずっと一貫してサウンド作りに影響していたと思います。

 サウンド以外の部分で言うと、由貴ちゃんの歌詞も面白いんですよ。2枚目のアルバム『ガラスの鼓動』から自分でも書くようになったんですが、アイドルではない独特の世界観を持っていましたね。

■ スタジオで生まれる“音のきらめき”

 現在の音楽制作においては、作曲とアレンジという作業の境界線は非常に曖昧だ。作曲家が自宅のPCを使ってかなりの部分まで作り込んでしまうのが一般的だからだ。しかし当時はそのような制作方法はまだ一般的ではなかった。どのようなプロセスでサウンドを作っていたのだろうか。

 当時はまだスタジオで実際に音を出してみないと分からないというところがあったんです。自宅でDAWを使ってシミュレーションすることはまだできませんでしたからね。ミュージシャンが集まって音を出すのが主流の時代でした。骨格となるベーシックなアレンジは自宅で考えて書くけれど、実際にシンセサイザーのどういう音色を入れるかとか、ギターのどういうフレーズを入れるか、音色はどうするかといったところはスタジオで試行錯誤しながら作っていたんです。幸いなことに80年代は音楽業界が活況を呈していた時代でしたから、スタジオの中での実験がけっこうできたんですよ。

 また1曲のアレンジということではなくて、アルバム単位でやらせてもらっていたので、合宿レコーディングのような形でレコーディング・スタジオにこもることもできたんです。そこで長時間かけてシンセサイザーのダビングをしたり、ピアノを何度も弾き直したりすることができた。長岡さんもすごく遊び心がある人だから、いろんなことができたんですね。そのへんはすごく恵まれていましたね。

 今では高いスタジオを何時間も使うわけにはいかないから、全部自宅で作り上げてからスタジオに入らなければならない。そこには圧倒的な差がありますね。ミュージシャンが集まって、そこで一緒に音を出すことによって生まれる音のきらめきは、絶対にある。そこには自信があります。一緒に音を出すことから生まれるマジックがすごくいっぱいあったんですよ。自宅でシンセによってシミュレーションして重ねていった音とは圧倒的に違いますね。

 当時は青山純さん、島村英二さんといったドラマーと一緒に仕事をする機会が多かったですね。「白い炎」は青山さん、「青空のかけら」は島村さんです。「悲しみよ こんにちは」は山木秀夫さんだったんじゃないかな。僕はベーシックなリズムの上にシンセサイザーなどで絵を描いていくところに一番力点を置いていたと思います。色を塗るにも、ただ一色で塗るのではなく、いろんな色を重ねて塗って、境界線をグラデーションにしてといった部分を考えながらやっていたような気がします。由貴ちゃんの場合はいわゆる油絵のような重たい感じではなくて、透明感があって、その先の世界まで広がっていく……そんなイメージを常に考えながらやっていました。

■ アイドルのアレンジに採り入れたプログレの要素

 80年代の半ばというと、デジタルの楽器やレコーディング機器が次々と開発されており、それによって新しいサウンド表現も次々と生まれていた時代だ。そういった最新のサウンドも採り入れつつ、曲をアレンジしていくのは大変なことだったのではないだろうか?

 大変というよりも、逆に毎日いろいろな冒険や実験ができるチャンスに恵まれていた時代なので楽しかったですね。だからルーティン・ワークにならずに済みました。僕はストリングスのアレンジを習ったわけでもないし、ジャズの理論を習ったわけでもない。コードのボイシングにしても全部独学なんです。でも独学とは言っても、先輩たちのスコアを見て学び取った部分が大きい。70年代の後半からいろいろな方々のバックバンドをやっていたので、そのときに(筒美)京平さんのスコアも見たし、萩田(光雄)さんのスコアも見た。レコーディングしたときのスコアを見て、「ああ、弦はこうやって書くんだ」などと学び取っていった。だから萩田さんの弦のアレンジには本当に影響を受けましたよ。あとは井上鑑さん。寺尾聰さんのバックバンドでずっと「ルビーの指環」を弾いていたので、そのサウンドにも影響されました。

 僕自身が作曲した曲も何曲かあるんですが、その場合は長岡さんから絵コンテが送られて来るんですよ。こういう感じの曲にしたいということなんです。それを受け取って僕は曲を作る。インスト曲なんかでもそういう絵コンテをもとに作った記憶がありますね。その場合は作曲とアレンジを同時進行で作っていました。

〈斉藤由貴の音楽はサウンドの雰囲気も好きだったと言ってもらえることがありますが、それはとても嬉しいことですね〉

 今回リリースされた斉藤由貴の作品群は、膨大な時間と労力を注ぎ込んで制作したものだそうだ。曲や詞はもちろん、サウンドもすごく重要な要素だったのは確かだという。それをハイクオリティな音質で隅々まで聴いてもらえると嬉しいと武部は語る。今回リリースされた作品の中からアレンジ的な聴きどこをいくつか紹介してもらおう。

「悲しみよ こんにちは」は変拍子で始まるんですよ。イントロが変拍子などという曲は当時のアイドルの曲ではほとんどありませんでしたね。それも実験的でした。一番忙しい時期だったから、アレンジする時間が本当になかったんですよ。家に帰る時間もなかったから、どこか都内のホテルに泊まって、次の日がレコーディングだった。夜中にやけくそになって変拍子にしちゃったんだけど、それを山木さんがバッチリ叩いてくれた。僕は実はもともとプログレが好きなんです。斉藤由貴ちゃんの作品はまさにプログレですよ(笑)。キング・クリムゾン、イエス、ピンク・フロイド……それらをアイドル界に持ち込んだらどうなるか?ということをやりたかったんです。イントロにしても、普通のポップスだったらもっと分かりやすいイントロにしますよね。でも、そういう要素が好きだというリスナーもきっといると思いますよ。

 楽器的にデジタルなものがいろいろと出てきた時代だから、僕ももちろんトライして使っていました。でも今考えるとそれでハイファイなことをやりたいと思っていたわけではなかったんですよ。「AXIA~かなしいことり~」や「土曜日のタマネギ」の12インチ・バージョンには前奏というか長いイントロダクションが付いていますよね。そういった部分も含めてアルバム全体の構成を考えていて、そのためのツールとして使っていた。そのへんもブリティッシュ・ロック、それもプログレッシブ・ロックの影響を受けているんだと思います。

「土曜日のタマネギ」ではコーラスがフィーチャーされていますが、あれは全部実際に歌って録ったものです。作曲した亀井登志夫君と久保田利伸君の二人で昼の1時頃からコーラスをやり始めて、何声も重ねていき、夜中の2時、3時くらいでギブアップ。二人とも声が出なくなっちゃったんです。でもその段階でベース・パートが録れていなかったので、仕方なく次のセッションのときに僕が歌いました。

「親知らずが痛んだ日」のリズム・パートは声で構成されています。リズムの要素を1つずつ口で鳴らしてサンプリングし、それでリズム・パートに組み立てていきました。

「初戀」はこれらの作品の中では一番デジタル寄りかもしれませんね。ドラムは生でしたが、打ち込みにはすごく時間がかかった記憶があります。

■ アナログ感とデジタル感をいい具合に配合したアレンジ

 80年代サウンドの特徴として、これらの作品でもシンセサイザーは多用されている。「卒業」がレコーディングされた前年の83年にはヤマハからDX7が発売され、それを契機に世の中にはデジタル・シンセサイザー・サウンドが溢れることとなる。これらの作品群にはどんなシンセサイザーが使われていたのだろうか?

 由貴ちゃんのレコーディングをやっていた時期は、ちょうどMIDIの出始めでしたね。1つのシンセサイザーの音色ではなくて、1つのフレーズを何台かのシンセサイザーの音色をミックスして作るなど、いろいろと工夫や実験を数多くやっていました。当時はシンセサイザー・オペレーターという職業の人がいて、すごく重要なポジションだったんです。浦田(恵司)さんや松武(秀樹)さんなどの優秀なオペレーターの方がたくさんいらして、これらの作品にはそういう方々のアイディアもたくさん詰まっています。

 当時はDX7が流行っていて、みんながエレピの音色として使っていた。だから聴くとすぐに、「ああDX7のエレピだ」と分かっちゃうんですよね、僕はそれがすごく嫌だったんです。だからDXのエレピを単体で使ったことはありません。国産のシンセ自体あまり使いませんでしたね。僕が好きだったのはPPG Wave 2.3、カーツウェルK250といったあたり。浦田さんが来るときにはシンクラヴィアやフェアライトも使いました。12インチ・バージョンの「土曜日のタマネギ」や「AXIA~かなしいことり~」のイントロに入っているストリングス・アンサンブルはカーツウェルです。

 僕はスティーヴィー・ワンダーが大好きだったんです。『ファースト・フィナーレ』『キー・オブ・ライフ』というアルバムが僕にとってのバイブルでした。スティーヴィーが自分でドラムも叩いて、シンセ・ベースを弾き、キーボードも全部弾いている。僕はそういうアンサンブルが好きだったんです。「AXIA~かなしいことり~」には、そういうニュアンスがあるんじゃないかなと思いますよ。シンセ・ベースをモーグ・シンセサイザーで弾いて、ストリングスをカーツウェルで入れる。そういう感じでした。当時はスティーヴィーのサウンドが時代の最先端を行っていたんですよね。

「卒業」の3回目のサビだけに出てくるチャカチャカした感じのストリングスもカーツウェルです。やはり「卒業」のイントロなどで出てくる、だんだん音が高くなっていくアルペジオ的なフレーズはPPG。それに続く“チャンチャン♪”と和音で鳴らしている部分とは、微妙に音色が違うんですよ。何か別の音を混ぜていたんだと思います。そのへんがこだわりでしたね。

 もう一人キーマンとして挙げられるのはエンジニアの松本裕さんです。裕さんもやっぱりスタジオの中で実験的なことをいろいろとやろうとしていた方でした。「白い炎」のイントロで、ピアノのフレーズに続いてタムが鳴る部分などは、裕さんのリバーブのセンスがなければ出せなかったサウンドだと思います。

 サンプラーはドラム・サウンドとして使ったりしていました。実際にドラムを叩いたタイミングでトリガーして、違う音色のドラム・サンプルを鳴らすといった手法はけっこう流行りましたね。ちょうどアナログとデジタルが融合していく時期だったんです。それがこの時代のサウンドの一番の特徴でしょう。もろアナログでもないし、もろデジタルでもない。アナログ感とデジタル感をいい具合に配合する。そのバランスがアレンジャーのセンスだったんじゃないでしょうか。僕は僕なりの感覚でバランスをとっていったし、他のアレンジャーも彼なりにバランスをとっていたんだと思います。

■ 倍音の出方が圧倒的に違うハイレゾ

 今回配信されたハイレゾ音源で改めて聴き直すと、そうしたシンセサイザーの微妙な音色の違いや、アナログとデジタルがどのように融合されているかといった部分まで聴き取れるのではないだろうか。ご本人にも、ハイレゾ音源を聴いた感想を聞いてみた。

 リマスターとは全然次元が違うんですよね。昔の音源のリマスターは、音から膜が1枚取れるような感じなんです。でもハイレゾは音色自体が変わっているように聞こえます。

 ストリングスのラインやカウンターのメロディのように、滲みすぎていてよく聴こえなかった音はよく聴き取れるようになるかもしれませんね。滲んでいた部分がくっきりとしてきますから。逆に僕らが作ったいい意味でのアナログの滲み感のような部分は少し薄れるのかもしれない。でもほんの一瞬しか入っていない音など、こんな音が入っていたの?という気づきもあるでしょう。「白い炎」などはシングル・バージョンとアナログ・バージョンでアレンジも全然違うので、そのへんを聴き比べてみるのも面白いと思いますよ。

 ハイレゾになると倍音の出方は圧倒的に違いますよね。だからアナログでは聴き取れなかった高音の伸びの部分なんかも聞こえるようになります。いずれにしても、昔の音源が高音質なハイレゾ音源として今の時代に甦るというのは良いことだと思います。あの当時は30年後にそんな未来が来るなんて想像していませんでしたけどね。たぶんビートルズもアルバムを作っていた時点では、将来CDで聴かれるなんて思っていなかったでしょう。

 僕はあまりコンプが強い音は好きじゃないんですよ。だから今回リリースされた由貴ちゃんの曲も、あまり強いコンプはかけていないと思います。最近の音楽はかなり強いコンプをかけて音量を上げていますよね。そういうサウンドと比べるとたぶん音量レベルが低いと思います。でもそういう意味ではずっと聴いていても疲れないと思いますよ。

 今回のハイレゾ音源の元になっているのは主に最終ミックスのアナログ・テープだそうだ。この時代以降になると、マスター音源がUマチック・テープなどに保管されたデジタル・データとなり、ハイが落ちてしまう場合がある。幸いなことにこの時代の斉藤由貴のマスターはアナログで残っていたため、本当の意味で、元の音源を高解像度の音で楽しめるのだそうだ。
 これらの作品群で、心血を注いで練り上げられた武部聡志のアレンジの機微に触れ、80年代サウンドの魅力を再発見してみてはいかがだろうか?


〈これらの作品は、当時の僕らが時間と労力とアイディアを注ぎ込んで作ったものです。ぜひ隅々まで楽しんでください〉

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