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全行程DSDにこだわったPure DSD作品『4 AM』が出来るまで

2013/11/29
70年代マイルスを彷彿とさせるアグレッシヴなサウンドがオーディオファイルを唸らしている、類家心平の最新作『4 AM』。注目すべきは、レコーディングからマスタリングまで、一貫してピュアなDSDに拘って行われたライヴ・レコーディングである点です。思わず引き込まれる圧倒的な音の良さ。DSDならではの再現性を極限まで引き出した、究極のライヴ・アルバムはどのように制作されたのか?本作のプロデューサー、T5Jazz Records清水正氏による「Producer's Note」で紐解いていきましょう!
"ライヴ・ハウスはしばしば「ハコ」という呼ばれ方をする。ハコは柔軟で自由で束縛が無く無機質に様々なモノを寛容に包み込む。入っているモノがそのハコに価値を与える。

今回のレコーディングは荻窪にある「velvet sun」というハコで行われた。毎日様々なミュージシャンが自分達の色にそのハコを染めていく。我々はこの日どんなハコを創り出す事が出来たのだろうか?一夜限りの創造的で挑戦的な見たことのないハコに仕上がっていたのなら嬉しいのだが。

当然の事ながら演じる者だけではハコは完成しない。演者と観客が一体となって一つの空間を創る。手垢の付いた言い回しだがそれが全てだ。一体となって作り上げた空気こそが真実なのだ。今回はそのハコの中のリアルをありのままの姿で音源に落とし込んだ・・・・・"


<ライナーノーツより 類家心平のコメント抜粋>


『4 AM)』 (DSD2.8MHz、他)
/ 類家心平


類家心平と僕の出会いから始めると長いのであるが、ここから始めないと突然生まれた作品のように勘違いされると思うので簡単に。類家心平との出会いはちょうど10年前の2003年に遡る。urbというストリート発信の人気ジャズ系バンドのトランペッターとして出会った。バンド内では比較的新しいメンバーであったのもあると思うが、バンド5人の中では寡黙であまり自己主張が控えめ、ただハッキリとした自分の意見と確かなテクニックを持っているミュージシャンであった。類家心平だなんて芸名?って聞いた記憶もある。出身の青森だと類家というのはそれほど珍しくない苗字らしい。自衛隊出身ってのも驚いた。でも、その堅い職業を捨てて、敢えてジャズに身を投ずる姿に心動かされた。

urbは2004年にデビュー・ミニ・アルバムを2枚、2005年にフル・アルバムを1枚リリースした(後にミニ・アルバムは1枚のフル・アルバムにカップリングされリリースした)。渋谷ストリートで300人以上を集めた実績は売上にも直結し、渋谷タワーレコードでは当時のジャズ系バンドとしては画期的なJ-Popコーナーでの大々的な展開。今ならオリコンチャートTop10に確実に入るほどの売上を誇った。業界内での人気も非常に高かった。それぞれキャラの立ったミュージシャンであったし、ソロでも十分やっていける実力も兼ね備えていたので、当時アイドル・グループが別ユニットを作ってヒットを飛ばしていたのを真似て、urbからも別ユニットで展開するプランまで立てていた。ただし、その華やかさとは裏腹にバンド特有の難しさも内在していた。

その後、僕は社内異動でジャズの制作を離れ、urbもバンドとしては活動休止状態となってしまい、必然的にそれぞれがソロ活動をせざるをえない状態となったが、トランペッターとしての類家心平の活躍はめざましく、ご存知の通り菊地成孔ダブセクステットを始めとして、様々なユニット、アニメ「坂道のアポロン」サウンドトラックに参加するなど引く手数多の人気者となっていった。ソロ活動としても類家心平 4 piece bandを主宰、2009年、2011年と2枚のソロ・アルバムをリリースし、順調に活動を展開していた。

僕は2012年末にサラリーマン生活に終止符を打ち、T5Jazz Recordsを立ち上げた。ジャズの制作時代に関わったアーティストたちとまた一緒に仕事を再開し、彼らをまた更に大きく育て、日本のジャズ業界の発展のため、一助を担いたいと思ったからである。そんな時に類家心平とも再会した。

渋谷のカフェで待ち合わせをし、ここ最近の活動について聞いたり、僕のレーベルについて話をした。ソロ作品のCDを聴かせてもらい、代官山でライヴがあるというので見に行った。CDという固定化された音と生のライヴを見て、僕はこのバンドの良さを最大限に引き出せるのはライヴ・アルバムしか無いと直感し、次の作品はライヴ・レコーディングでアルバムを出そうと類家に提案した。最初、類家は少し戸惑った表情をした。スタジオのようにやり直しのきかないライヴ・レコーディング、バンドのリーダーとしては不安がよぎるのも当然である。当面決まっているバンドのライヴとしては8月27日しかなかった。類家からは2回くらい録りたいという話もあったが、当面ここしかライヴの予定としてはないので、とりあえずここで録ることにした。「録ってみてダメだったら別日を予定しよう」。僕としてはむしろ追い詰めることで緊張感を生み、それが結果として素晴らしい演奏が展開されることを期待した。


録ることが決定したら、あとは僕たちスタッフがベストな音を録るだけである。このバンドの生々しい音を録るにはDSDレコーディングしか無いと考えていた。エンジニアは過去にurbのアルバム・レコーディングも担当し、自身もトランペット吹きであるソニー・ミュージックスタジオの鈴木浩二氏に依頼した。機材は当然ソニー・ミュージックスタジオの機材をお借りした。約一ヶ月前にはライヴ会場である荻窪のvelvet sunにお邪魔して下見をし、8月7日にはHPでライヴ・レコーディングを公表した。様々なリスクを考えると、普通はオープンにやらないと思う。でも今回は敢えてオープンにした。その場にいたお客さまが歴史的なスペシャルな体験の場に出来ればそれはとても素敵なことであるし、オープンにすることで後には引けないというミュージシャンたちへのいい意味でのプレッシャーにもなればと考えた。


当日は14時に機材搬入開始、リハーサルの前にはある程度機材を組み上げ、リハーサル時にはエンジニアが音を確認できる状態に持っていった。実はDSDによるライヴ・レコーディングは僕も初めてで、持ち込まれた機材の大きさに驚いた。小さなライヴ・ハウスの1/3は機材で埋まっているんじゃないか?というような状態であった。何とか客席の後ろ2列に機材を収め、セッティング完了。ただ、通常ライヴ・レコーディングというのは別の部屋でエンジニアがモニターしながらいろいろ調整して録っていくものであるが、今回はとてもそんなスペースもなければ、モニターできるような環境もない。リハーサルしながら生音とヘッドホンを聴きながら、ある程度キチンと音が録れることを確認できたら、あとはエンジニアが長年のカンで進めていく。運を天に任せるだけである。とにかく無事に録り終え、バタバタと機材を搬出し、レコーディングは無事終了。

「鉄は熱いうちに打て」。その熱いサウンドを冷まさないよう翌日29日にはMixを行い、翌朝には完成させた。最終工程であるマスタリングは逆に少し時間を空けて翌週に実施した。全てDSDによるPure DSD作品として作業を仕上げた。


結果は聴いていただいての通り、実に素晴らしい作品に仕上がったと思う。レコーディングと言うのは様々な不確定要素が内在するわけであるが、今回は全てに於いて良い方向に転がってくれたのではないかと思う。ご協力頂いたライヴ会場のvelvet sun、レコーディング・スタッフたち、そして何より素晴らしい演奏を展開してくれたミュージシャン達、そしてリーダーとして、トランペッターとして期待以上のパフォーマンスを繰り広げてくれた類家心平に感謝したい。

さて、来年1月~2月にこのレコーディングしたバンドでのレコ発ライヴが予定されている。是非、今度はレコーディングから更に進化した生の演奏でこのサウンドを体感していただければと思う。

【アルバム・リリース・ライヴ決定!】
出演:類家心平(tp)、中嶋錠二(p)、田中 “tak” 拓也(g)、鉄井孝司(b)、吉岡大輔(ds)

日時:2014年1月30日(木)
場所:モーション・ブルー・ヨコハマ
詳細:http://www.motionblue.co.jp/

日時:2014年2月3日(月)
場所:ビルボードライヴ大阪
詳細:http://www.billboard-live.com/o_index.html

日時:2014年2月5日(水)
場所:名古屋ブルーノート
詳細:http://www.nagoya-bluenote.com/

2013年11月
T5Jazz Records
Producer 清水 正