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連載『厳選 太鼓判ハイレゾ音源はこれだ!』第17回

2014/11/30
数あるハイレゾ音源から、選りすぐりをご紹介する当連載。第17回は、チェリスト、溝口肇さんが9年にわたりシリーズで制作してきた『yours』シリーズに、最新録音も加えたハイレゾ版『yours;Gift』を取り上げます。
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【バックナンバー】
<第1回>『メモリーズ・オブ・ビル・エヴァンス』 ~アナログマスターの音が、いよいよ我が家にやってきた!~
<第2回>『アイシテルの言葉/中嶋ユキノwith向谷倶楽部』 ~レコーディングの時間的制約がもたらした鮮度の高いサウンド~
<第3回>『ベートーヴェン:交響曲第9番「合唱付き」(1986)』 NHK交響楽団, 朝比奈隆 ~ハイレゾのタイムマシーンに乗って、アナログマスターが記憶する音楽の旅へ~
<第4回>『<COLEZO!>麻丘 めぐみ』 麻丘 めぐみ ~2013年度 太鼓判ハイレゾ音源の大賞はこれだ!~
<第5回>『ハンガリアン・ラプソディー』 ガボール・ザボ ~CTIレーベルのハイレゾ音源は、宝の山~
<第6回> 『Crossover The World』神保 彰 ~44.1kHz/24bitもハイレゾだ!~
<第7回>『そして太陽の光を』 笹川美和 ~アナログ一発録音&海外マスタリングによる心地よい質感~  スペシャル・インタビュー前編
<第8回>『そして太陽の光を』 笹川美和 ~アナログ一発録音&海外マスタリングによる心地よい質感~  スペシャル・インタビュー後編
<第9回>『MOVE』 上原ひろみ ザ・トリオ・プロジェクト ~圧倒的ダイナミクスで記録された音楽エネルギー~
<第10回>『機動戦士ガンダムUC オリジナルサウンドトラック』 3作品 ~巨大モビルスーツを感じさせる、重厚ハイレゾサウンド~
<第12回>【前編】『LISTEN』 DSD trio, 井上鑑, 山木秀夫, 三沢またろう ~DSD音源の最高音質作品がついに誕生~
<第13回>【後編】『LISTEN』 DSD trio, 井上鑑, 山木秀夫, 三沢またろう ~DSD音源の最高音質作品がついに誕生~
<第14回>『ALFA MUSICレーベル』 ~ジャズのハイレゾなら、まずコレから。レーベルまるごと太鼓判!~
<第15回>『リー・リトナー・イン・リオ』 ~血沸き肉躍る、大御所たちの若き日のプレイ~
<第16回>『This Is Chris』ほか、一挙6タイトル ~音展イベントで鳴らした新選・太鼓判ハイレゾ音源~
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『yours ; Gift』 溝口肇
~チェロが目の前に出現するような、リスナーとの絶妙な距離感~


■ ハイレゾにもマスタリングが重要と再確認

先日、マスタリング・スタジオのOrangeさんへ、機材の音質グレードアップのチューニング作業に行ってきました。私のミッションは、スタジオでのマスター音源を、より活き活きと鳴らすこと。マスタリング前の再生で音質向上できれば、それだけマスタリング作業の負担も減少しますし、最終的な音楽の完成形も更に良質なものへと高めることができるはずです。

マスタリング・エンジニアの小泉由香さんに、実際にマスタリング作業を行ってもらいながら、問題点とチューニングする工程を探っていきます。そのとき、比較試聴のためのマスタリングの素材に用いたのは、実際にCD盤制作に使用されたミックスダウン直後のマスター音源でした。フォーマットは確認しませんでしたが、おそらく96kHz/24bitのマスター音源だったと思われます。

マスタリング前の完成されていない音楽とはいえ、そのマスター音源の音質が細く、音像も小さく、元気の無い音質だったのには、残念を通り越して驚きでしかありませんでした。アーティストの体調が悪いのかと思ったほど、音楽に覇気がありません。そして、このときのマスター音源だけが特殊というわけではなく、最近のマスター音源の多くは、この音質の細いサウンド傾向があるとのことです。

名手である小泉由香さんがマスタリング作業を行った後は、アーティストの放つオーラまで聴こえる魅力的なサウンドへと大きく変貌します。マスタリングのビフォーアフター比較試聴は、何度体験しても感動的です。このサウンドなら、CD盤を購入する多くのファンも大満足でしょう。

つまり、マスタリング・スタジオでは、ハイレゾ規格であるマスター音源よりも、マスタリング作業後の44.1kHz/16bit規格のCD音源マスターのほうが、圧倒的に音質が優れているという現象が起きています。こんなことは日常茶飯事なのです。

もはや、テクノロジーだけでは解決しない問題があります。昭和時代のように、マスター音源が夢のような高音質だったころとは違うのです。マスター音源が、か細くなった原因はいろいろあるでしょう。電源環境の劣化、ミックスダウンを大きなスタジオの大空間で作業しなくなったこと、コンピューター内部でのレコーディング&ミックス作業などなど。嘆いていても、昭和のアナログテープ録音の時代、空気が澄んでいた時代、電源ノイズが少なかった時代には、私達はもう戻れないのです。

これからのハイレゾ音源制作は、マスタリングが重要な鍵を握っているように感じました。ハイレゾで記録された音楽自体は、その魅力を100%発揮することができずに、データとして眠るように保存されています。「何も足さない、何も引かない」というのは理想的に思えますが、それだけでは昔と同じ音楽の生命力は再現できません。料理に例えるなら、昔ながらの変わらぬ製法だけでは、当時と同じ美味しさにならないのと同じ。食材が変われば、同じ味になるようシェフの工夫が必要なのです。CD盤でミュージシャンやプロデューサー、エンジニアに着目してきたように、ハイレゾ音源でも「マスタリング・エンジニアが誰なのか?」といったスタッフ・クレジットに注目していきたいと思います。そして、CD時代とは違うハイレゾならではのマスタリング技術を見せてくれるよう、大いに期待したいところです

■ ハイレゾは癒しエネルギーさえも豊かに収録できる

本日の太鼓判は、チェリスト溝口肇さんのカバーアルバム『yours ; Gift』です。

『yours ; Gift』 (96kHz/24bit、DSF5.6MHz/1bit)
/溝口肇


実は溝口さんとは、10年くらい前にDVDサラウンド作品の制作でお仕事をご一緒した経験があります。初めて溝口さんとお会いしたときの印象は今でもハッキリ覚えており、普通の人とは違うオーラというか、キラキラ輝いていて「カッコイイ~!」としか言いようがありません。そんな溝口さんに憧れて同じデザイン携帯に機種変更しましたし、その数年後には同じ車に乗りました。そう考えると、私の人生に大きく影響を与えてくれた人なのかもしれません。

溝口さんはハイレゾ作品のリリースに積極的で、全てチェックしてきました。もちろん、どの作品も音質が素晴らしいのは間違いありません。なかでも、この『yours ; Gift』は、チェロという楽器の捉え方が圧倒的に私の好みと一致しました。「チェロを聴く側として、どの位置で聴きたいか」というポイントです。

私は著書『リスニングオーディオ攻略本』の添付CD収録の一曲で、チェロのソロをプロデュースしました。そのマスタリング時に気付いたのは、少しEQを触っただけで、チェロの音の芯が逃げていってしまうこと。「もうチェロのソロだけはマスタリングしないでおこうか」と思ったほどです。マスタリング・エンジニアの小泉由香さんと一緒に、相当苦戦したのを覚えています。

私がプロデューサーとしてこだわったのは、“チェロをどの位置で聴きたいか”ということ。一般的に演奏者は、チェロの音色を聴くとき、自分自身で楽器を弾いている感覚が強いのだと思います。そのため、チェロの音がリスナーに近すぎる印象があります。また、クラシック好きのエンジニアは、ホールの響きを積極的に収録し、客席で演奏を聴いているサウンドにレコーディングする傾向があるようです。私にとって、それではチェロが遠すぎるように思えます。

私の理想は、チェリストから2メートルくらい離れた位置で聴いている感じ。つまり、リスニング時に、スピーカーとスピーカーの間にチェロを弾いている姿が現れ、それを試聴席で聴いている距離感が好きなのです。ボーカリストとの距離感に通じるサウンドと言えるでしょう。

この『yours ; Gift』は、そのチェロとの距離感が私のストライクど真ん中。見事に、目の前にチェロを弾く溝口さんが出現しました。溝口さんご本人の解説によれば、『yours ; Gift』はご本人自らミックスダウンとマスタリングの作業を行っているとのこと。それがこのチェロとリスナー間の、微妙で魅力的な距離感を生んでいるのかもしれません。業界では有名ですが、溝口さんは演奏家としてだけでなく、エンジニアが不要なくらいミックスやマスタリング作業まで行える、数少ないマルチな音楽家なのです。

それにしても、溝口さんご本人のハイレゾ解説がとっても面白い。新譜が出るたび、私も毎回楽しみにしています。音楽制作現場の生の声、アーティストとしてのブレの無い考え方が真摯につづられており、読み応えのある解説です。ハイレゾが実際はどのように作られ、演奏家はその存在をどう捉えているのか。未読の方は、ぜひ全てお読みください。お薦めです。

『yours ; Gift』をじっくり聴いていると、チェロの音色が録音した年によって微妙に異なることに気付きました。過去4作品からのベスト+新録音ですので、当然と言えば当然。作品の制作年を一覧にしてみました。

1. トラック01、02、11 ・・・ 2005年作品
2. トラック13 ・・・ 2006年作品
3. トラック03、04、12 ・・・ 2007年作品
4. トラック07、08、09 ・・・ 2008年作品
5. トラック05、06、10 ・・・ 2010年作品
6. トラック14、15 ・・・ 2014年作品(新録)

皆さんはどのチェロの音色がお好きですか?私は断然2005年作品です。溝口さんの解説によると、新録の2曲が「技術的には現時点で一番高音質な方法で録音をしています」とのこと。2005年作品と新作を比較すると、最新録音は少し空間が狭く、チェロの倍音成分が多くてゴリッとした印象ですので、より楽器に近い演奏家感覚の録音というように感じました。どちらも素晴らしいのですが、好みからすると朗々とした2005年の距離間が、私にとっては絶妙なんです。録音年によって、ちょっとしたチェロの音色の聴き比べができるのも本作の醍醐味。どのトラックも絶品のチェロが楽しめます。強いていえば程度の音色違いですので、ハイレゾ試聴の腕試しに皆さんも聴き比べを楽しんでみてはいかがでしょう?

セレクトされている楽曲は、どれも原曲に馴染みのあるものばかり。カバー曲というのは、原曲との違和感が先立つものも多い昨今、『yours ; Gift』は全く原曲の存在を気にすることなく、本作が持つ独自の世界観に浸ることができます。ひとことで言えば“癒し”となるのでしょうが、私はそんな簡単なものではないと思うのです。“癒し”というのは、ある種の超能力。誰もが使える魔法というわけではありません。10年前にお会いした際に感じた、溝口さんの穏やかなエネルギー。「あの人が弾くチェロだから、こんな癒しエネルギーが音楽から発せられるのだな~」と、しみじみ感じて聴いています。

ハイレゾという大きな音楽の器は、本当に素晴らしいです。チェロやピアノの生々しい音色はもちろん、より大きな癒しエネルギーを記憶できるとは思ってもいませんでした。CD規格では、やはりこのような深いチェロの音色を聴くことはできません。心を落ち着かせたいとき、再生ボタンを押せば、このチェロの魔法が出現します。疲れたあなたに処方したい、ハイレゾ太鼓判です。

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筆者プロフィール:

西野 正和(にしの まさかず)
3冊のオーディオ関連書籍『ミュージシャンも納得!リスニングオーディオ攻略本』、『音の名匠が愛するとっておきの名盤たち』、『すぐできる!新・最高音質セッティング術』(リットーミュージック刊)の著者。オーディオ・メーカー代表。音楽制作にも深く関わり、制作側と再生側の両面より最高の音楽再現を追及する。自身のハイレゾ音源作品に『低音 played by D&B feat.EV』がある。