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【12/4更新】 印南敦史のルール無用のクラシック

2018/12/04
タイトル通り、ロック好きでもJ-POPファンでも楽しめるクラシック音楽を紹介する、ジャンル不問のクラシック・レヴュー。月間50本以上の書評を執筆する書評家であり、ベストセラー『遅読家のための読書術――情報洪水でも疲れない「フロー・リーディング」の習慣』の作家としても知られ、更にヒップホップなどのブラック・ミュージックからクラシックまでを幅広くフォローする異色の音楽評論家としての顔を持つ印南敦史による連載「印南敦史のルール無用のクラシック」!
ジョン・アダムズ(指揮)、BBC交響楽団、BBCシンガーズ『ジョン・アダムズ:歌劇「ドクター・アトミック」(全曲)』
ジョン・アダムズの自作自演による、「マンハッタン計画」をテーマにした壮大なオペラ


1982年に、『アトミック・カフェ(The Atomic Cafe)』という映画が公開されました。翌年には日本でも封切られ、渋谷の小さな映画館まで観に行った記憶があります。

人類初の核実験である「トリニティ実験」、広島・長崎への原爆投下と、3つの核爆発が実施された1945年から始まった「核の時代」をテーマにしたドキュメンタリー映画です。

ナレーションどころか製作者側のメッセージすら一切入っておらず、当時のニュース映像やラジオ音声、政府が製作したフィルムなどが淡々と映し出されるのみ。しかし、だからこそ核開発の危険性やバカバカしさ(核をなんとか肯定しようとする政府のプロパガンダが、まさに狂気そのもの)が浮き彫りになっていくのです。

先日、30数年ぶりに観たのですが、やはり考えさせられるものがありました。衝撃的な表現を避けているからこそ、観る側の内面に訴えかけるものがあるというか。

もしもこの先また公開されるような機会が訪れたら、ぜひ観てみていただきたいと思います。

なぜ、こんなことを書きはじめたのか、そもそも、なぜこのタイミングでまた『アトミック・カフェ』を観ようと思ったのか? それは、今年の初夏にリリースされたジョン・アダムズ『ドクター・アトミック』がずしーんと心にのしかかったからです。

実はリリース当時に初めて聴いたときには、ちょっと重たすぎるなと感じて聴き通すことができませんでした。ただ、にもかかわらず以後もずっとこの作品のことが気にかかっていたので、数ヶ月後にまた聴いてみたら、結果的にはハマッてしまったのです。

いや、ハマッてしまったという表現は違うかな? 聴かずにはいられなかったといったほうが近いかも。そして、聴けば聴くほどのめり込んでいったというような感じです。

ジョン・アダムズは、マサチューセッツ州出身の現代音楽家。初期はスティーヴ・ライヒなどに通じるミニマル・ミュージック的な作風を特徴としていましたが、やがて表現の領域を広げていくことに。ジャズやポピュラー音楽などさまざまな音楽の要素を取り入れつつ、独自の世界観を成熟させていきました。

オペラ作品に対する評価も高く、ニクソン大統領の中国訪問を題材にした『中国のニクソン』(1987年初演)、1985年に起こった旅客船乗っ取り事件をモチーフにした『クリングホファーの死』(1991年初演)など、質の高い作品を残しています。

今回ご紹介する『ドクター・アトミック』は、そんなアダムズによる5作目のオペラとして2005年に初演された作品。「ドクター・アトミック」(Doctor Atomic)とは、物理学者のロバート・オッペンハイマーのことを指します。

いうまでもなくオッペンハイマーは、1945年に初の原爆実験を実施し、広島と長崎への投下につながる「マンハッタン計画」のリーダー的な役割を果たした人物。

そんな経緯があるため「原爆の父」などと呼ばれていますが、実は原爆が自分の意図とは違った結果を生んだことに落胆していたそうです。

実際には使用できない規模の兵器を開発することによって、「戦争は無意味なものだ」ということを訴えたかったにもかかわらず、実際に使われてしまったため絶望の淵に立たされたわけです。

当然ながら、本作の根底にあるのもそうした葛藤や苦悩です。オッペンハイマー以下、マンハッタン計画に関わった科学者たちの実験のプロセス、そこにまつわる思いなどが再現されているということ。

交わされる会話のすべてを聞き取る能力は僕にありませんが、それでも断片的な言葉の端々から、強い緊張感を意識することができます。

そしてもうひとつの魅力は、音楽的なクオリティの高さ。民族音楽からインダストリアル・ミュージックまで、さまざまな音楽のエッセンスを適切なバランスでミックスさせた重厚な世界観に、強烈な説得力が備わっているのです。

その証拠に、戦闘機の飛行音、女性歌手の歌声などがサンプリングされた“Overture”の時点で緊張感は極限にまで達します。しかも全48曲、2時間36分におよぶ大作です。

だから初めて聴いたときには「これ、聴き通すのキツいわ」と感じもしたわけですが、意外や意外。最初から最後まで重苦しい空気が貫かれているにもかかわらず、まったく抵抗を感じさせないのです。

しかもオペラ作品でありながら、その聴感はどこかミニマル・ミュージックをも彷彿させます。

聴き終えたあと、無意識のうちに戦争や原爆について思いを巡らせていました。もちろん、すべての人がそうなるとは限らないでしょう。しかし(たとえ言葉がわからなくとも)、聴いた人の心になにかを残してくれる作品であることは事実。

ちなみにサンフランシスコ・オペラで初演されたのは、2005年10月1日。以後もネザーランド・オペラ、シカゴ・リリック・オペラ、ついで2008年にはメトロポリタン・オペラでも上演され、大きな話題を呼んでいます。それらは、ドナルド・ラニクルズ、アラン・ギルバートらの指揮によるものでした。

一方、本作で指揮しているのは作曲者のジョン・アダムズ自身。つまり、これまでのどの演奏よりも、彼の理想とする形になっているわけです。また、初演からオッペンハイマー博士役の大半を担当してきたバリトン歌手のジェラルド・フィンリーが、ここにも参加。オッペンハイマーの葛藤や苦悩を見事に表現しています。


◆今週の「ルール無用のクラシック」」


『John Adams: Doctor Atomic』
BBC Symphony Orchestra, BBC Singers, John Adams



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印南敦史 プロフィール

印南敦史(いんなみ・あつし)
東京出身。作家、書評家、音楽評論家。各種メディアに、月間50本以上の書評を執筆。新刊は、『人と会っても疲れない コミュ障のための聴き方・話し方』(日本実業出版社)。他にもベストセラー『遅読家のための読書術――情報洪水でも疲れない「フロー・リーディング」の習慣』(ダイヤモンド社)をはじめ著書多数。音楽評論家としては、ヒップホップなどのブラック・ミュージックからクラシックまでを幅広くフォローする異色の存在。

ブログ「印南敦史の、おもに立ち食いそば」