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“世界に注目された竹の音色”

2018/07/19
ジョン・ケージ、ピート・シーガー、武満徹、アレン・ギンズバーグなどを魅了した『海童道』。
この『海童道』の創始者、海童道祖老師と交流のあった豊住芳三郎氏をお迎えし、『海童道』の音の魅力と、20世紀が生んだ偉大な哲人 海童道祖老師の人物像に迫ります。


フリージャズ/フリー・インプロヴィゼーションドラマー:豊住芳三郎
聞き手:神田可遊(尺八史家)


『海童道』
海童道祖老師

今日はお忙しい中、お集まりいただきありがとうございます。

このたび、海童道祖老師(わたづみどうそろうし)による『海童道』(わたづみどう)をハイレゾ配信することになりました。
そこで、音源のことや、海童道、また海童道祖についてのお話を伺いたく、
フリージャズ/フリー・インプロヴィゼーションドラマーの豊住芳三郎(とよずみよしさぶろう)さん
尺八史家の神田可遊(かんだかゆう)さん
にお越しいただきました。

(豊住)
このアルバムのジャケットの字は道祖の字ですね。ご自宅の表札もこういう感じでしたね。

(神田)
道祖のアルバム・ジャケットで使っている文字はすべて道祖の字ですね。

写真右:豊住氏 写真左:神田氏


―――舞台で共演されてますことは珍しいことのように思えるのですが、道祖とはよくライヴに出られていたのでしょうか?

(豊住)
共演はしていませんが、スペース・オルタというライヴスペースで3回道祖と公演しましたね。パリにも道祖をお連れしました。
スペース・オルタでは、まず僕がソロをやります。それから風折具前(かざおりぐぜん/海童道の動作・日本今様)さんが途中から入ってきてデュエットになります。そして休憩のあと、道祖が講話と吹定(すいじょう/奏でること)と半々くらい行います。
道祖の話では、しゃべったあとに直ぐ吹くのは難しいそうです。唇に影響がでるそうで、経験しないとわからないと仰っておりました。ライヴなどを恐らく9回ほど、僕が仕込んで公演しました。お弟子の武奪(ぶだつ)さんからは「よく呼び出しましたね」と言われました。道祖は気持ちによって吹かないこともあるので、「もし嫌だったら一音”ブオーツ”と吹くだけでいいですよ」とお伝えしたら、「そんなこと言われたら演ってみたくなるなぁ―」と言われましたネ。

豊住氏


(神田)
晩年になってからは、ライヴに出演するようになりましたね。

(豊住)
関東と浜松で公演を仕込みましたね。浜松では4回ほど行いました。

―――道祖と初めてお会いしたきっかけは?

(豊住)
パリで加古隆(かこたかし 作曲家/ピアニスト)さんから、音楽之友社出版の「日本の伝統音楽」を紹介してもらって、それに「海童道」のことが出ていて、「すごいなぁ、こんな人がいるんだ」と思って、道祖のライヴを何回か観に行きました。そして入門しようと思い、道祖へお電話しましたが、道具の値段が厳しく、あきらめました。
その後シカゴでサックス奏者のダグラス・ユアートと知り合って、安い尺八をプレゼントし、そのダグラスが3,000人に5人くらいしか枠がないフルブライト・プログラム(奨学金制度)に受かりました。それで彼は日本に留学して海童道を習いたいというので、僕は道祖の連絡先を探しました。ところが関係者に道祖の行方を尋ねると「行方不明」と言われまして。それで以前に一度お電話した番号にかけてみましたら「私はここにいますよ」と、つながることができました。僕がラッキーだったのは通訳後「君面白いから家に遊びに来なさい」と言われて道祖のところに行くことになったんです。伺いましたら道祖が講話をしてくれました。僕にとっては伺う時刻がとても早かったので、道祖と約束した時間に間に合わなかったりしたにもかかわらず、道祖が「来週いつくるか」と言ってくれて。そういうことが続いたんですね。なんか気に入られたんだと思うんです。そのうち 他のお弟子さんたちへの配慮もあり「一応入門しなさい」と言われて、入門しましたが、道曲は習わず、「哲学」を教えてもらいました。よく食事をご馳走になりましたね。道祖も食欲旺盛でよく食べられました。

(神田)
間章(あいだあきら 音楽評論家)さんがプロデュースした「新潟現代音楽祭《自由空間》」に、道祖は出演していましたよね。

(豊住)
そうですね。それがある意味ミュージシャン的な活動としては最初ですね。それまでは三越劇場とかに出演していましたね。道祖は、東條英機、昭和天皇の御前でも吹いたこともあります。
あと、戦後皇宮警察の顧問になっていて、皇居では講話を受け持ち、拝聴者の中に先代:市川猿之助、山田五十鈴等がおられたと。

―――豊住さんからみた、道祖の魅力は、どういうところでしょうか?

(豊住)
思想がすごいです。道祖は自分がやっているのは音楽ではない、と言うんですね。 普通は音楽で「(拍手されて)受ける」「褒められたい」「サービスする」「アンコールをする」とか「有名になる」「お金を稼ぐ」ということを考えるけれども、そういうことは完全に無視しているんです。考えが違うんですよ。
音楽じゃないんですね。「音楽はつまらんですな」と言うんです。
道祖は自分を鍛えるために、それも健康のために吹いているんですよね。肺を強くすれば、心臓が強くなる。それには吹かなくてもいいんだけれど、吹くとどれくらい肺が強くなったかわかるから竹を吹くのですね。
朽ちた竹に風が吹いて出た音が、一番いい音がするなぁ、と仰っていますね。

―――道祖はどなたかと共演されたことはありましたでしょうか?

(豊住)
共演しないです。僕のパーカッションとパーカッション・デュオをやろうと言われました。
どこかで練習しないといけないから我が家でリハするしかないんですが、片付けていないから 「そのうちに」と言っていたら、道祖が亡くなられ、残念ながらできなくなってしまいました。

―――道祖との交流で、どんなエピソードがありますか?

(豊住)
道祖がパリに行くので、通訳で僕が同行したとき、竹を練習している西洋人に音程を「もっと低く、もっと低く」と言ったら、
「クオーターなのかハーフなのか」と聞き返してきたことがありました。道祖は「だから低くって言っているんだ!」と怒ったたことがありました。道祖としては、音の高さを1/2とか1/4といった数字で考えるのではなく耳でやんなきゃいけないんですよね。道祖はただ「低くー!」と言ってるだけだから、こっちは「low―!」って通訳するわけです。「喝!!」って言ってるみたいに(笑)。道祖からすればそれがわからなければ耳がわるいということで、とにかく平均律で合わせるのはナンセンスということです。

―――道祖の魅力は、どういうところでしょうか?

(豊住)
教本に、「無装飾無調音(むそうしょくむちょうおん)」という言葉が書いてあるのですが、それが最高到達点だということだそうです。そのエピソードとしてですが、浜松で公演したときに、道祖の音を聴いて、ぶっ飛んだことがあります。そのときは、激しく吹いていて、どんどんと音が限りなく小さくなっていって・・・・・・・ヴァーウオー!!っと吹いたときが、1番凄かったですね!
そのとき空気を吸ったかどうかわかりませんが。鳥肌なんてもんじゃなかったね!西洋音楽では休止符っていうかもしれないけれど、休みじゃないんですよね。

(神田)
じつはその音のないところですが、息が出ているんですよね。

(豊住)
それはよけいにすごいね!無音のあとの音を出すとき、息は吸っているんですか?

(神田)
あれは溜まっているんですね。

(豊住)
じゃあもっと凄いね!その瞬間を感じるために、それまでを吹定(すいじょう/曲を奏でること)しているように思えますね。
僕は手伝いで来ているから客席で観られないので、舞台袖で観ていたら・・・、いきなり正座になっちゃって。
それでも聴き足りなくて、毛穴、汗の穴、耳すべてで聴きとろうと引き込まれて、それでも足りないから、 ネコが獲物をねらうような恰好にまでなって拝聴しました。
その1回だけですよ。人生で。あれはもう忘れられない。あれを知っているから、そこまで演りたい。あの吹定を経験して、あれ程に感動したことはないです。普通の音楽の感動と違うんですよね。一般的な音楽では出せないんじゃないかな。すごかった。

―――道祖の吹定に引き込まれたという感じですか?

(神田)
「引き込まれた」というより惹き付けられるんですね。引き寄せられるっていうか。戦前からの話なんだけれども、一朝普門(海童道祖の前号のひとつ)時代から、このピアニッシモとフォルティッシモがすごいというふうに言われていて。小さな音になると人間というのは、ぐぅぅぅ・・・っと体が前にでてしまうんですね。

神田氏



(豊住)
「静のための動、動のための静」とか言うからね。そのバランスというのは、言うのは簡単だけど、そのダイナミックスというのは、すごかったです。

(神田)
あれは人間の耳を引き寄せますね。耳がこんなに大きくなっちゃいますね。

(豊住)
可能なんだ、まだ。人間でも。音楽の感覚や技術だけでは、そこまでは行かないですよ。

(神田)
「フリージャズ」と「道祖」は関係があると思いますか?むかしDUG(ダグ/新宿のジャズ喫茶)に行くと 道祖のチラシがあったりしたので。

(豊住)
道祖は古典を「つまらん」と言って、全部変えちゃうし。インプロなんですよ。そういうところは、ジャズと一緒なんですよね。外国のジャズミュージシャンには知られていたけど、日本のミュージシャンはあまり知らないですね。スピリチュアルなところがあるので外国では有名でした。西洋のものに飽きちゃってる人は、東洋のおいしいところを求めているから。道祖の音源は、海外で海賊盤が沢山でているんだ。



(神田)
間章氏のプロデュースで、東京文化会館で公演した「海童道を聴く会」ではチケットを売り過ぎたのか 通路も全部埋まってしまったので、舞台まで人が上ってしまうほど人が集まったみたいですね。

(豊住)
動員は間氏の腕ですね。

(神田)
道祖はもう一度、間章氏とやりたかったようですね。私の師匠の東先生によると、その後道祖が彼に電話をしたら、「死にました」と言われたそうです。まさかそんな若いのに死ぬはずがないと思ったそうですが、32歳で亡くなってしまったんですね。

(豊住)
そうですか・・・。ただ、間氏に引っ張り出されて、道祖はきっと感謝しているんじゃないかと思います。 道祖は有名になろうとは思っていないけれど、「道」は広めたいから。「こんなに体にいいものだぞ」ということを。矛盾しているかもしれないけれど。

(神田)
どうせ分かりゃしないんだ、というところと、どうしても分からせたいんだ、という気持ちと。

(豊住)
誤解されまくっている方だったから。でも道祖は僕に「お前が紹介するところなら、どこへでも行くぞ」と言ってくれましたね。嬉しかったですね。

(神田)
豊住さんのおかげで、私はスペース・オルタのライヴを3回観られました。

(豊住)
そうですか!最初は随分入りましたね。

(神田) 観客は、生の海童道は東京文化会館以来じゃないかという感じでしたので、もっと広いところで行ったら、もっと人が入ったでしょうね。

―――道祖とお会いしていて、何か特別なことを感じることはありましたでしょうか?

(豊住)
くたびれていたり眠かったり、自分の体が弱っていた時があったんですが、道祖のお宅に伺って、1~2時間くらいお話したり、一緒に食事をした帰りは、必ず胸を張って歩くほど元気になりましたね。そんなに何日ももたないけれど。

(神田)
エネルギーが入ったんですね。

(豊住)
 そうなんですよ。道祖からパワーをもらってたんですね。自然に。会話で。対峙していてね。これはすごいですね。自分より全然年上の人から。そういう力をもっているんです。会話の中でもう一つのレッスン、修行になっていたのです。真髄のほうで。
道祖がいなくてもスピリッツは生きているわけですから、道祖とのことを思い出せば、それでまたパワーをもらっている自分がいるんです。例えばゴッホの絵を見て、本人はこの世にいなくても、絵からスピリッツを感じるように、癒されるように。 そういう人に出会えて自分は大変、大変ラッキーだと思いますね。
あと、道祖は口で瞬間に5つの音を出せるんです。その5つの中から2つだけとか、3、4つの音を出すことも出来るんです。まじかで見せてもらいました。道祖は交通事故で亡くなったのですが、病院に運ばれた時にでも、口でその音を出して修行していたように聞こえ、たぶん死ぬ直前まで練習をしていたんだと思います。道祖は高齢になっても一日も鍛錬をかかさなかったそうです。道祖が死ぬまで鍛錬していたことを知っただけで、何か教えてもらった気がしますね。
自分は演奏をやめたら病気になっちゃうかもしれないです。でも今は叩きたいから、演奏したいから。若いときは「”健康”なんてカッコ悪い」と思っていましたけど、今は「明日があるから」「来週があるから」と思って、体を大事にしなきゃと考えますね。たまには無茶もしますけど。よく70過ぎて叩けますねって言われます。40分のステージを2回するにも、瞬間に集中して。それもハートフルにね。ハートが熱ければ自然に手が動きますね。力で演奏したって、それは筋力なので、下手するとうるさいだけなんですね。でもハートから出た音は気持ちいいんです!快感なんです!それでピアニッシモができたりすると又いいですね。そういう気持ちを道祖からもらってる気がします。そういう意味でも、道祖のすばらしい”海童道のスピリッツと音”は、ずっとずっと残ってほしいですね。


海童道祖老師が使用したとされる定具を手に



参考文献:アートクロッシング第2号~特集豊住芳三郎~ (発売:TPAF)

◆海童道祖(わたづみどうそ)
1911年11月、福岡県に生まれる。
旧制福岡商業学校卒。
海童道開祖のほか、海童道杖、日本今様など各種本家を兼ねる。1972年渡米した際、「海童道祖」の名を贈られる。その独特の哲学と幅広い活動は国内外の前衛音楽や映画など多くの芸術家に影響を与えてきた。
1992年12月死去。81歳。

豊住芳三郎 (とよずみ・よしさぶろう) フリージャズ/フリー・インプロヴィゼーションドラマー
1943年7月11日、横浜に生まれる。
1967年ミッキー・カーティス率いるロック・グループSamuraiでヨーロッパ・ツアー。帰国後、佐藤允彦、高木元輝、高柳昌行、吉沢元治、山下洋輔らと共に活動、日本のフリー・ジャズ黎明期の牽引役を果たす。71年シカゴに渡りAACM (Association for the Advancement of Creative Musicians)に参加。72年渡仏し、アラン・ショーター、ボビー・フュー、ボブ・リード、加古隆、アンソニー・ブラクストンらと活動する。74年自己のグループでソロ・デビュー・アルバム『Sabu / Message to Chicago』(TRIO)を発売。75年富樫雅彦『Spiritual Nature』(East Wind)の録音に参加。その後も阿部薫、小杉武久、デレク・ベイリー、バール・フィリップス、ポール・ラザフォード、ジョン・ゾーン等々のインプロヴァイザーと共演、ワダダ・レオ・スミス、ペーター・ブロッツマン、ミシャ・メンゲルベルグらを招聘し、数々の共演作品を残す。現在も世界を股にかけて活躍中。

神田可遊(かんだ・かゆう)
全国の尺八家や虚無僧寺の史跡などを訪ね、尺八及び虚無僧の研究を行って、1982年から『尺八評論』『尺八通信』『尺八研究』を主宰・発行し、現在第2次『尺八評論』に至る。ほかに『邦楽ジャーナル』等にも連載。また書籍、CDの制作・プロデュースも。研究の傍ら、尺八古管や譜本はもとより、浮世絵、人形、書画、SPレコード、写真など尺八と虚無僧に関する古いものの収集家。1972年中央大学卒。