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ヴォーカリスト井筒香奈江が気心の知れたトリオで一発録りを敢行! 変化に富んだ意欲作『Laidback2018』が完成

2018/05/16
オーディオ・ファンのハートを掴んだヴォーカリストとして知られる井筒香奈江さんが最新作『Laidback2018』をリリースします。ソロ・アルバムでありながら、藤澤由二さん、小川浩史さんとのトリオLaidbackでの録音を復活させた背景には、より自由な音楽表現を目指すための原点回帰でもあったとか。オリジナル曲のほか、ドアーズ「Light My Fire」やフリートウッド・マック「Songbird」、ジミ・ヘンドリックス「Little Wing」、ビリー・プレストン「You Are So Beautiful」といった洋楽、さらにダウン・タウン・ブギウギ・バンド「サクセス」、アン・ルイス「美人薄命」という邦楽曲のカバーも収録。“一発録り”で臨んだという本作は、いかにして誕生したのでしょうか。井筒香奈江さんご本人と、サウンド・プロデューサー/レコーディング・エンジニアを務めた高田英男さんのお二人にお話を伺いました。

インタビュー・文◎炭山アキラ 写真◎渡邉久美(レコーディング)、山本 昇(取材)


『Laidback2018』/井筒香奈江



■アーティスト井筒香奈江を前へ進める“変化”とは

 歌手・井筒香奈江を初めて知ったのは、彼女にとって2枚目となるCD、Laidback(レイドバック)名義の『reframe』だった。あるイベントで鳴らされていて、スピーカーから飛び出してきた井筒の歌声に吃驚、早速自分でもリファレンス・ソフトへ迎え入れた次第だ。
 その後、藤澤由二(Pf)、小川浩史(B)との3人編成で洋楽ポップスを歌う、Laidback名義によるCD製作は一区切りとなり、J-POPを井筒がソロで歌う『時のまにまに』シリーズが始まる。好評のうちに5作を重ねた『時のまにまに』は、同じJ-POPを歌う内容ながら前作で『リンデンバウムより』と名を変え、そして2018年、新作には懐かしい名前が付されていた。『Laidback2018』である。
 今作のレコーディングに当たって、やはり何か心境の変化があったのか、単刀直入に問いかけると、「はい、ありました」と、こちらもストレートな返答が返ってきた。
「16年一緒にやってきたLaidbackで、2004年に『Little Wing』、2008年に『reframe』というアルバムを出しました。その後にLaidbackで3枚目のアルバムを出そうと話したのですが、ピアニストの藤澤さんに“今はやりたくない”と言われたのです」
 しかし、井筒は前向きだった。
「だったらもう全部変えちゃおうと思って、ソロ名義で、日本の曲を中心に、聴いてくださっている人だけのために歌うアルバムを作りたい。それで『時のまにまに』を作り始めました」
 もちろん、Laidbackの頃からその音質、なかんずく声や楽器の素直さにオーディオマニアや業界人が注目し、オーディオ界での知名度が少しずつ高まりつつあった井筒だが、『時のまにまに』シリーズでは、作を重ねるごとにそれを確固たるものとしていった感がある。
「今までにない作りだったみたいで、幸いオーディオ界へ受け入れてもらえました。リバーブが全然なかったりね(笑)」
 これは『時のまにまにII 春夏秋冬』が最も顕著で、オーディオマニアの間に時ならぬ論争を巻き起こしたことも、記憶に新しい。井筒自身、『時のまにまに』の中では『II』が最も自分の意思を反映させられた作品と語る。
 しかし、そうやって“音”をクローズアップされることに対して、アーティストとして、ボーカリストとしてはジレンマもあったそうだ。例の“リバーブなし”にしても、「どうやったらリスナーにもっと歌の内容を聴いてもらえるだろう」という葛藤の産物だそうである。しかし、その結果として「歌以外が全く存在しない」というべき、あの峻厳な世界観が現出したら、オーディオマニアに賛否両論の嵐が吹いたというのは、やはりいささか皮肉なことといわざるを得ない。
「『II』で“やり切った”こともあって、私自身は次回作からもうちょっと聴いてくださる人たちに寄り添った作り方にしたかったんですが、作品を重ねていく毎に、おそらく当時のエンジニアさんやサウンド・プロデューサーさんとしては、“せっかく録音で評価を得ているのだから、前作よりも下げちゃいけない”という責任感が強くなっていらしたのではないかなと。そのおかげで、どの作品もオーディオ業界で高い評価をいただくことができました」と語る井筒だが、とうとう次のような決断を下したのだった。
「『時のまにまに』を『V』までを作ったところで、もうそういうのはやめちゃおうと。オーディオ的に好まれる音に縛られたり、評価に縛られたりすることなく、もっと自由に、原点へ戻りたい。それで、一旦『時のまにまに』はやめたんです。同じことをやってもきっと飽きられる。何だか“もう売れない!”という、ヘンな確信もありました(苦笑)」
 それで、次回作『リンデンバウムより』はより“バンド的”な方向へ振り、一定の成功を収めた。しかし、またそこでムクムクと「変えたい!」という欲求が募ってきたとか。
「でも今回は、どう変えていいのか分からなかったんです。それで、毎年1枚、9月にリリースしていたのを、いいアイデアが浮かぶまで見送ることにしました」
 なるほど。アーティスト井筒香奈江を前へ進めているのは、“変化”を求めるモチベーションだったのか、と合点がいった。それが例えば「立ち止まること」であっても、きたるべき変化へ向けての助走であることが分かる。

「これまでのイメージとは違う部分に驚かれる方がいらっしゃるかもしれませんが、何度か聴くうちに、この音楽だからこその音作りであり、バンド・サウンドとしてちゃんと成立していることがお分かりいただけると思います」(井筒香奈江さん)

■ベテラン・エンジニア高田英男氏が提案した“一発録り”

 ところで皆さんは、高田英男という名にお心当たりがあるだろうか。個人的に、若い頃「何でもないアイドルや企画アルバムなんかが、なぜこんなにいい音なんだろう?」と不思議に思うレコードがいくつもあった。それらの多くに“Hideo Takada”とクレジットされていることへ気づいたのは、ずいぶん後になってからのことだ。高田氏は、ビクター音楽産業(現JVCケンウッド・ビクターエンタテインメント)で昭和から平成にかけて辣腕をふるった、レコーディング業界の“レジェンド”というべき存在である。
 井筒は何年か前に高田氏と面識はあったそうだが、「まさか自分の録音を手がけてもらえるなんて思ってもいませんでした」とか。それが、昨年のオーディオショー「音展」で、何気なく振り返ったら、そこに高田氏がおられたそうだ。そこで、「私の作品を録っていただくことは可能なんでしょうか!?」と思わず声が出たことで、今作は大きく動き始めた。後世へ残る作品を残すアーティストには、時に思ってもみない方向へ“風が吹く”ことがあるそうだが、これはまさに井筒自身が“風を吹かせた”瞬間ではないか。
 高田氏は既に古巣を離れ、現在はミキサーズ・ラボという会社にエンジニア・マネージメントを委託されており、そこに障害はなかった。快諾した高田氏は、「変えたい」けれどどうすべきか暗中模索していた井筒に、「原点に返ってみては?」と助言し、その瞬間、井筒には“答え”が見えたとか。新作にLaidbackの名がついたのは、まさに高田氏の言葉が「ジグソーパズルの最後の1ピース」だったのだろう。
 普通、ポップスの録音ではベースやピアノといった伴奏部分を先に録音し、それをバックにボーカリストが歌うという形で進むものだ。以前に見学させてもらった井筒の旧作でも、録音現場はそういう格好だった。今作もすっかりそういう手順だろうと思い込んで、高田氏に話を聞こうとしたら、思わず椅子から転げ落ちそうな話が飛び出してきた。
 録音を前に、高田氏はLaidbackのライブを見に行ったそうだ。いわゆる「バンド編成」なら協調してサウンド作りを行うところ、Laidbackの3人はそれぞれの個性が火花を散らしながら音楽を創り上げている。「これはもうサウンドとして出来上がっているな」と確信した高田氏は、3人に「一発録りを基本にして、できるだけ録音現場の熱い思いを音にしていきたい」と持ちかけたという。
 「井筒さんの音楽は歌と演奏とが絶妙な相互作用の中で成立しており、最低限の修正で音楽創りを進めることがベストと判断したのです」(高田氏)。
 それにしても、一発録りは演奏者にとって大変にリスクの大きな方法だ。メンバー個々に録音する方式なら、たとえ演奏を間違えてもその部分を修正すれば済むが、「歌との同時録音では歌のニュアンス一つで演奏そのものが瞬時に変化していく、心地よい緊張感」(高田氏)がそれぞれにのしかかることになる。
 ならば、なぜそんなハイリスクの賭けをやるのか。例えば管楽器奏者は息で楽器を鳴らすのだから、フレーズごとに息継ぎをするのは当然だが、実は他の楽器を演奏していても、フレーズごとにギュッと息を詰めて集中する部分と、そのそれぞれの間にフッと息を継ぐ瞬間がある。そのタイミングが各奏者の間でピッタリ決まった時、音楽はその様相を変え、まるでメンバーが有機的に一体化したような時間が訪れることがあるのだ。ライブでは往々にして訪れるこの“瞬間”だが、各楽器を別録りするレコーディングにそれを求めようとしても、とても無理というものであろう。
 録音エンジニアの側にしてもそうだ。一発録りでは、途中で機材やマイク・セッティングを変更しようものなら、それこそご破算で最初からやり直さなければならなくなるから、事前に綿密なリハーサルを要するものであろうと推測される。
 「実はライブを聴いた時に、この3人ならそれぞれあのマイクを使って、こういう音で作っていこう、といったイメージが大体できていたんですよ」と高田氏。もちろん、長年にわたるレコーディングで培われた膨大なデータが、氏の頭脳には収められているのであろうが、その事前イメージからほとんどセットの変更なしに録音が進んだと言うからさらにたまげる。

「モニターバランスは楽曲の展開に合わせて、楽器のバランスやリバーブの深さを瞬時に変えたりしました。録音はPro Toolsによるマルチトラックでも行いましたが、僕としてはその場でファイナル・ミックスを作っているという感覚でしたね」(高田英男さん)

本作のレコーディングでNEVEコンソールを操る高田さん


■一つの到達点として長く記憶されるべきアルバム

 また、高田氏は演奏者と息遣いを合わせ、自身もアーティストと“有機的に一体化”することで、ここぞ!というところでソロをフィーチャーするために調整卓へ手を伸ばしたり、ということを行うのだとか。そのため、後からの加工もほとんど必要ないという。いやはや、“高田マジック”の片鱗へ触れて、真の一流とはかくも物凄いものなのかと、深く納得がいった次第だ。今回の音源が世へ出るに当たり、高田氏は「4人目のバンドメンバー」だったとも言えるのではないかと思う。
 しかし、その強いプレッシャーの中で、Laidbackの3人はどれほどのテイクを重ねながらアルバムを作っていったのであろうか。膨大な時間がかかったことは想像に難くない。
「いや、割ける時間が限られていたこともありますが、非常に少ないテイクで終わりましたよ。1テイクでOKが出た曲もあるくらいです」と高田氏。これには、3人それぞれの音楽的力量やセンスもさることながら、Laidbackのバンドとしての練度の高さ、16年間の積み重ねを思わずにいられない。

 今、目の前のスピーカーから『Laidback2018』が流れている。私自身がオーディオ畑の人間ゆえ、どうしても音質について先に語ってしまうが、全体に音が分厚く実体感が豊かで、下世話な表現をお許しいただければ「金のかかった録音だな」という印象だ。  これまでの井筒作品はボーカリストが絶対的な主役だったが、今作は3人のメンバーへほぼ均等に光が当たっているように感じられる。しかし、それで井筒の歌唱がリスナーへ届きにくくなっているかといえば、全くそんなことはない。むしろ、彼女が丹念に紡いでいく言葉の世界、旋律へ込めた情感などは、より濃厚で色鮮やかに聴く者の心を染め上げていくように感ずる。なるほど、これはまさに昔からよく親しんだ「高田サウンド」だ。
 CD第1作『Little Wing』から14年、思えば遠くへきたものだと思う。それには、何よりも井筒の「変えたい!」という思いと、それをしっかりと下支えするLaidbackの仲間との16年間があってこそだったのであろう。『Laidback2018』は、変わり続ける井筒香奈江の一つの到達点として、長く記憶されるアルバムだと確信した。そして、井筒はまた次にどんな“変化”を見せてくれるのか、それも楽しみになってくる。1人のファンとして、アーティストの負担にならない範囲で、今作を大いに味わいつつ、楽しみに待ちたいと思う。

「今までの私を音楽を聴いてくださったすべての方に、もう一度あらためて聴いていただきたい。自信を持ってそう言えるアルバムができたと思っています」

「従来の井筒香奈江さんの作品とは違うサウンドにはなっていますが、彼女のベーシックな世界観は間違いなく踏襲されています。今回の音の表現や広がりから、オーディオ的な部分はもちろん、音楽的に伝わってくる井筒ワールドの面白さを体感していただけたら嬉しいですね」

2017年11月、Sony Music Studios Tokyoで行われたレコーディングから。井筒香奈江さん(Vo)


藤澤由二さん(ピアノ)


小川浩史さん(ベース)


高田英男さん(サウンド・プロデューサー/レコーディング・エンジニア)


ゲスト・ミュージシャンの中川昌三さん(フルート)


同じくゲスト・ミュージシャンの大久保貴之さん(パーカッション)






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